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陶弘景 : ウィキペディア日本語版
陶弘景[とう こうけい]
陶 弘景(とう こうけい、孝建3年(456年) - 大同2年(536年))は、中国六朝時代医学者科学者であり、道教茅山派の開祖。通明。隠居後は名を捨て華陽隠居と名乗り、晩年には華陽真逸と称した。
眉目秀麗にして博学多才で琴棋書画を嗜み、医薬卜占暦算経学地理学博物学文芸に精通した。山林に隠棲しフィールドワークを中心に本草学を研究し今日の漢方医学の骨子を築いた。また、の名手としても知られ、後世の書家に影響を与えた。
== 生涯 ==
丹陽郡秣陵(現在の江蘇省南京市)の人で、南朝士大夫の出身。祖父は王府参軍、父は県令を務めた。幼少より極めて聡明でたちまち書法を得、万巻の書を読破した。10歳のときに葛洪の『神仙伝』に感化され道教に傾倒し、15歳にして『尋山志』を著したという。20歳の頃、南斉高帝に招聘され左衛殿中将軍を任じられると諸王の侍講(教育係)となり武帝のときまで仕えた。30歳の頃、陸修静の弟子である孫游岳に師事して道術を学び、36歳にて職を辞し永明10年(492年)、茅山(南京付近の山・当時は句曲山といった)に弟子ととも隠遁した。『南史』には陶弘景が致仕したとき皇帝の肝いりで盛大な送別会が催されたことが伝えられている。
永元元年(499年)に三層の楼閣を建て、弟子の指導をするほか、天文・暦算・医薬・地理・博物など多様な研究に打ち込んだ。また仏教に深く傾倒している。王朝が交替すると武帝は陶弘景の才知を頼り、元号の選定をはじめ吉凶や軍事などの重大な国政に彼の意見を取り入れた。このため武帝と頻繁に書簡を交わしたので「山中宰相」と人々に呼ばれるようになる。年を負う毎に名声が高まり王侯・貴族らの多くの名士が門弟となった。『文選』の編者として知られる昭明太子も教えを受けたひとりである。
多岐にわたる著述を著しその数44冊に上った。
享年81(『南史』では享年85)。貞白先生

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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