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陸奥湯之助 : ミニ英和和英辞書
陸奥湯之助[むつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [ゆ]
 【名詞】 1. hot water 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

陸奥湯之助 ( リダイレクト:陸奥宗光 ) : ウィキペディア日本語版
陸奥宗光[むつ むねみつ]

陸奥 宗光(むつ むねみつ、天保15年7月7日1844年8月20日) - 明治30年(1897年8月24日)は、日本の政治家、外交官、武士(紀州藩藩士)。明治初期に行われた版籍奉還廃藩置県徴兵令地租改正に大きな影響を与えた。また、カミソリ大臣と呼ばれ、伊藤内閣外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称陽之助(ようのすけ)。
正二位勲一等伯爵家紋は仙台牡丹。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
天保15年(1844年)8月20日、紀伊国和歌山(現在の和歌山県和歌山市吹上3丁目)の紀州藩士・伊達宗広と政子(渥美氏)の六男として生まれる。幼名は牛麿(うしまろ)。生家は伊達騒動で知られる、伊達政宗の末子・伊達兵部宗勝の後裔と伝えられるが、実際は古くに陸奥伊達家から分家した駿河伊達家の子孫である。伊達小次郎陸奥陽之助と称する。国学者・歴史家としても知られていた父の影響で、尊王攘夷思想を持つようになる。父は紀州藩に仕え、財政再建をなした重臣(勘定奉行)であったが、宗光が8歳のとき(1852年)藩内の政争に敗れて失脚したため、一家には困苦と窮乏の生活がおとずれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陸奥宗光」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mutsu Munemitsu 」があります。




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