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陸軍経理学校(りくぐんけいりがっこう)は、日本陸軍の軍学校の一つである。主計・監査・衣糧・建築を管掌する経理部将校〔1937年(昭和12年)2月14日までは「経理部将校相当官」と呼ばれた。〕を養成した。陸経と略される場合がある。 ==沿革== 明治19年(1886年)8月に設立された陸軍軍吏学舎が前身で、明治23年(1890年)11月に陸軍経理学校と改称する。1898年11月4日、生徒舎が東京市牛込区河田町元士官学校分校跡に移転した〔『官報』第4611号、明治31年11月11日。〕。 始め東京市麹町区富士見にあった経理学校が明治33年(1900年)同市牛込区河田町に移り、昭和17年(1942年)生徒数の増加によって手狭になり再び東京都北多摩郡小平町、後の小平市に移転する。空襲の激化により、敗戦時には石川県金沢市に移転していた。 跡地は、戦後になって陸上自衛隊小平駐屯地や関東管区警察学校となる。同駐屯地には陸上自衛隊小平学校が設けられている。陸軍の軍学校は夫々士官学校の市ヶ谷台や相武台・予科士官学校の振武台、航空士官学校の修武台の様に"台"がついた愛称が付けられ、その在校生や卒業者を"台上の人"と俗称したが、経理学校に於いても「若松台」と称された。もともとは河田町校舎の時に若松台と呼ばれたが、小平に移ってからも変わらず若松台と呼んだ。 経理部主計将校の養成は始め主計候補生と称する制度が用いられ、その後他兵科からの転科者を以って之に充当していたが、後に転科者が減少した事から昭和10年(1935年)制度を改め経理部士官候補生制度を設けた。教育内容は当然主計向けの内容ではあるが、概ね兵科士官候補生制度と同様であった。 ;関係法令 *陸軍経理学校令(昭和10年勅令第325号) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陸軍経理学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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