隷属(れいぞく)とは固有の……">
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陸軍航空本部(りくぐんこうくうほんぶ)は、大日本帝国の陸軍大臣に隷属〔隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁〕する機関のひとつ。陸軍における航空関係の軍事行政と教育を統御、管理した。1919年(大正8年)4月に陸軍航空部として設立、1925年(大正14年)5月に陸軍航空本部となり段階的に権限が強化され、1936年(昭和11年)8月より陸軍省の外局となった。1938年(昭和13年)12月に陸軍航空総監部が設立されて以後、航空関係教育は陸軍航空本部の担当外となったが、陸軍航空総監部は構成員の大部分が陸軍航空本部との兼務であった。 1945年(昭和20年)11月、太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦後の陸軍解体にともない陸軍航空本部は廃止された。ここでは前身である陸軍航空部とともに述べる。 == 設立の経緯 == === 陸軍航空黎明期 === 陸軍が航空を兵力としたのは明治時代からである。日露戦争で臨時編成の気球隊が一応の成果を収め〔『陸軍航空兵器の開発・生産・補給』3-4頁〕〔『陸軍航空の軍備と運用 (1) 』6-10頁〕、陸軍中央部は電信教導大隊気球班を設け常設とした〔『陸軍航空兵器の開発・生産・補給』4頁〕〔『陸軍航空の軍備と運用 (1) 』10-11頁〕。1907年(明治40年)10月、気球班は気球隊に改編され交通兵旅団所属となった〔、これが陸軍における最初の平時編制の航空部隊である〔『陸軍航空兵器の開発・生産・補給』5頁〕。気球隊は当時陸軍で技術性を最も重視する工兵科の一部とされ、陸軍航空は工兵の管理下で緒についた〔『陸軍航空の軍備と運用 (1) 』11頁〕。 当時の欧米列強国では、気球と並行し飛行機の研究が進歩しつつあった。1909年(明治42年)5月、参謀本部内において「空中兵器」と題する世界の軍事航空を研究した報告書が提出された〔『陸軍航空兵器の開発・生産・補給』5-6頁〕〔同年10月、報告書はさらに陸軍将校の機関紙『偕行社記事』の別冊として出版された。『陸軍航空の軍備と運用 (1) 』13頁〕。これに着目した寺内正毅陸軍大臣は海軍大臣と合議のうえ、官界の委員を含めた飛行機および気球の研究機関を立案し内閣の承認を得た〔『陸軍航空の軍備と運用 (1) 』13頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陸軍航空本部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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