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陽願寺(ようがんじ)は、福井県越前市にある浄土真宗本願寺派の寺院である。 通称「御堂陽願寺みどう ようがんじ」。 ==歴史・概要== *陽願寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、善鎮によって建立された。 *善鎮は本山毫摂寺6世であり、本山證誠寺の住持も兼任した。1482年(文明14年)20歳の時3年間山科本願寺で過ごし、蓮如より他力念仏の教えを受けた。やがて「正闡坊」の名を拝受し、蓮如のすすめで越前の国に戻り、広瀬村・岩崎(現在の福井県越前市広瀬町)に一宇を建立。それが陽願寺の始まりである。 *陽願寺の寺号は、1485年(文明17年)に蓮如(本願寺第8世)によって命名された。当時、越前地方では秘事法門(正しくない真宗の教え)がはこびっていたことから、正しい教えを意味する「陽」と本願寺の「願」の二字を合わせたものである。 *また、蓮如(本願第8世)が1499年(明応8年)に往生されると、蓮如の跡を継承された実如(本願寺第9世)より善鎮の元へ実如の「御消息」(御手紙)と蓮如の御骨が届いた。この「御消息」には、形見の御骨を送った理由が記されており、現在寺宝(市文化財)として保存されている。 *陽願寺はその後も興隆し1597年(慶長2年)、南越地方の惣録となった。准如(本願寺第12世)より「院家」の通達が届き、同時に南越地方の「惣録」を命じられとする。またその頃より陽願寺は「御堂」と呼ばれるようになった。桜町天皇の位牌や本多富正の両親の墓所などがある。 *明治時代には府中の大火で本堂、庫裏が全焼するも、その後再建された。本堂は十三間四面の欅造りである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陽願寺 (越前市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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