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隅田川駅跳上橋(すみだがわえきはねあげばし)は、東京都荒川区南千住の隅田川駅構内に架設された跳上橋〔鋼製跳開式可動橋〕である。可動橋で第一人者の山本卯太郎が設計。別称は、日本石油株式会社隅田川油槽所跳上橋である。 == 概要 == 1926年(大正15年)7月の竣工である。隅田川駅に隣接している日本石油株式会社隅田川油槽所(1989年閉鎖)に、専用鉄道線を引き込むことになった。そのためには、隅田川支流の運河を横切る必要がある。しかも、その地帯の地盤が非常に低いため、満潮時には海面が上昇して海面と地面との差がほとんどない状態になってしまう。このようなことから、普通の鉄道橋を設けることが出来ない〔普通の鉄道橋の場合、艀のような船舶であっても、運河での航行が不可能となってしまう。〕ため、跳上橋を架設することになった。昭和30年代までは運河が存在し、隅田川油槽所へ続く専用線に架けられていたが、その運河が埋め立てられたことにより、撤去された。 設計の山本卯太郎は、米国から帰国後、1919年(大正8年)に山本工務所を興し、可動橋・可動閘門・起重機などの種々の工事を完成〔山本卯太郎 「鋼索型跳上橋の一考案」『土木学会誌』第14巻第6号、土木学会、1928年12月。〕した。中でも隅田川駅跳上橋は、日本における高度な橋梁技術を推し進めるための先駆けとなった。その後、東京には、古川可動橋を竣工させた。1929年(昭和4年)末のことである。この古川可動橋は、当時、東洋一の可動橋と言われた。1926年(大正15年)12月発行の『土木建築工事画報』に、本橋梁についての文献〔関根博・中野英明 「日本石油株式会社隅田川油槽所跳上橋に付て」『土木建築工事画報』第2巻第12号、工事画報社、1926年12月。〕があり、その構造や工事概要について、次のように記されている〔本文献には、跳上橋設計の理由や諸元などについても記されている。〕〔「臺」を「台」にするなど、新字体などに直した。 おもな直した漢字(括弧外の字体を用いる): 台(臺)、鉄(鐵)、函(凾)、為(爲)、従(從)、巻(卷)、予(豫)、発(發)、転(轉)、歯(齒)、経(經)、径(徑)、尺(呎)、伝(傳)、処(處)、砕(碎)、余(餘)、仮(假)、当(當)、体(體)、点(點)〕。なお、その執筆者は、日本石油株式会社の関根博〔日本石油株式会社 道路部主任〕と中野英明〔日本石油株式会社 技師〕であり、山本卯太郎ではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「隅田川駅跳上橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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