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尾崎 勇気(おざき ゆうき、本名:尾崎 勇記、1976年4月2日 - )は、長崎県北松浦郡生月町(現在の平戸市生月町)出身のタレント、元大相撲力士、大相撲解説者。草野仁事務所所属。現役時代の四股名は隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき)。鳴戸部屋所属で、最高位は東関脇(2003年1月場所、2003年3月場所)。身長190cm、体重152kg(大相撲時代)、得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ。血液型A型。 == 来歴 == 父親はヤクルトアトムズで捕手を務めたプロ野球選手・尾崎亀重。運動神経が良く中学時代はバスケットボール部で活躍した。1992年(平成4年)3月場所初土俵。関脇若の里、元幕内隆の鶴は同部屋で同期生である。若い頃から有望株として注目され、隆尾崎を名乗っていた幕下時代には若の里(当時・古川)と2人で当時の大相撲放送にあったコラム「目指せ関取」に取り上げられ、互いに先を越されないように精進するとコメントしていた。1999年(平成11年)5月場所新十両、同年11月場所新入幕。 2002年(平成14年)11月場所では攻めが速くなり小結で11勝4敗の好成績を収め「大器開眼」と称賛された。翌場所新関脇で9勝を挙げたが、千秋楽の琴光喜との一番で張り手を受け倒れた際に膝などを痛め、ケガの回復が遅れて3月場所は全休(当初全治10日の軽傷と診断されたため、公傷が適用されなかった)。さらには次の夏場所も2敗13休で十両に陥落した。この頃から故障禍に見舞われ始める。2度再入幕を果たすも前頭9枚目までしか番付を戻せなかった。 特に、2005年(平成17年)11月場所では、西前頭10枚目の地位で初日から7連敗し、中日に豊ノ島との水入りの相撲で何とか初勝利を挙げたものの、思うように成績が伸びずに9日目に負け越しが決定、しかも12日目からは右膝を痛め休場して、三度十両に陥落してしまった。その後ずるずると負け越しを続け、2006年(平成18年)7月場所の番付は東十両14枚目と、幕下陥落の危機に立たされたが、中日まで8連勝で早々と勝ち越しを決めた。その後6連敗したが、千秋楽で勝利し、9勝6敗と久しぶりに勝ち越した。2006年9月場所では序盤から好調を維持し、千秋楽まで3敗を維持し、千秋楽で2場所前の5月場所十両優勝している豊桜との取り組みで敗れたが、優勝決定戦で勝利し、自身初の十両優勝を果たした。この場所の番付は東十両8枚目だったことから再入幕も有力視されたが、西3枚目で8勝7敗の片山が優先され入幕を逃した。次の11月場所、さらには2007年(平成19年)3月場所と十両2枚目まで番付を戻しながら大敗を喫した。5月場所では東十両9枚目で4勝11敗と大きく負け越し、7月場所は幕下へ陥落してしまった。9月場所は4連敗後に休場し、14日目の22日に引退届を提出。年寄名跡(親方株)の空きが無かったため、相撲協会には残らなかった。 2008年春より同郷である草野仁の個人事務所に所属し、大相撲解説とタレントの活動を開始した。 2011年11月30日に宅地建物取引士の資格を取得した他、甲種防火管理者、甲種防災管理者、フィナンシャルプランナー、管理業務主任、住宅ローンアドバイザーの資格も取得している〔難関資格を次々取得…元関脇・隆乃若は現在“大学3年生” 〕。 また、中卒で角界入りした〔が、2015年現在、通信制の大学に籍を置いている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾崎勇気」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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