翻訳と辞書
Words near each other
・ 隆ノ里
・ 隆ノ里俊英
・ 隆一まんが劇場 おんぶおばけ
・ 隆三杉
・ 隆三杉太一
・ 隆三杉貴士
・ 隆中
・ 隆中策
・ 隆乃若
・ 隆乃若勇紀
隆光
・ 隆円
・ 隆円 (曖昧さ回避)
・ 隆化
・ 隆化県
・ 隆化県 (曖昧さ回避)
・ 隆和
・ 隆回
・ 隆回県
・ 隆国寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

隆光 : ウィキペディア日本語版
隆光[りゅうこう]
隆光(りゅうこう、慶安2年2月8日1649年3月20日)- 享保9年6月7日1724年7月26日))は、江戸時代中期の新義真言宗。出自は大和国の旧家河辺氏。初名は河辺隆長(あざな)は栄春。
1658年(万治元年)仏門に入り、長谷寺唐招提寺で修学した後、奈良醍醐で密教を修め、儒学老荘をも学んだ。1686年(貞享3年)5代将軍徳川綱吉の命により将軍家の祈祷寺である筑波山知足院の住職となったの機に、急速に綱吉の帰依を得た。1688年(元禄元年)には知足院を神田橋外に移して護持院と改称してその開山となった。1695年(元禄8年)には新義真言宗の僧では初めて大僧正となっている。宝永4年2月25日隠居し、駿河台成満院へ転住する〔『真言宗年表』国書刊行会 p.618〕。
しかし、綱吉の死去と共に失脚。宝永6年(1709年)には江戸城への登城を禁じられ、筑波山知足院への復帰願いも認められず、失意の内に大和に帰郷し没したという。墓所は大阪府太子町奈良市の佐紀幼稚園裏の2カ所にある。
隆光は、綱吉及び綱吉の生母桂昌院の寵を受け、生類憐れみの令を発令することを勧めたとされる。〔その時期には隆光はまだ江戸にいなかったと言われることもあるが、『密教大辞典』(法蔵館)・『真言宗年表』(国書刊行会)によると貞享3年(1686年)10月3日に江戸城黒書院で安鎮法を修している。つまり生類憐れみの令以前より江戸城に出入りしていた。〕また、京・奈良の寺社の再建を綱吉・桂昌院親子に奨めた人物でもあり、幕府の財政悪化の遠因ともなった。
== 関連項目 ==

=== テレビドラマ ===

* 大奥(関西テレビ、1968年、演:夏目俊二南原宏治
* 大奥(関西テレビ、1983年、演:日下武史
* 元禄繚乱(NHK総合、1999年、演:篠井英介
* 大奥〜華の乱〜(フジテレビ、2005年、演:火野正平
* 大奥〜誕生[有功・家光篇](TBS、2012年、演:又吉直樹ピース〉)
* 新解釈・日本史(TBS、2014年、演:若葉竜也
* 水戸黄門

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「隆光」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.