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隈 研吾(くま けんご、1954年(昭和29年)8月8日 - )は、日本の建築家(一級建築士)。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学教授(博士(学術))。木材を使うなど「和」をイメージしたデザインが特徴的で、「和の大家」とも称される〔「アンビルドの女王」ザハ氏VS「和の大家」隈研吾氏…新国立再コンペ 〕。 == 来歴 == 神奈川県横浜市大倉山出身。父親が45歳の時の息子で〔ほぼ日刊イトイ 〕、医院を営んでいた祖父が建てた大倉山駅近くの古い家で育つ〔『三低主義』 〕。家の修繕をする父親に付き合ううち、建築に興味を持つ〔ほぼ日刊イトイ 〕。田園調布小学校に通っているときに、1964年東京オリンピックのオリンピック建築を見て、建築家を志す〔Com-et TOTO 〕。栄光学園高校では、長身 (189cm) を生かしてバスケット部でセンターを守っていた〔Com-et TOTO 〕。 東京大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院建築意匠専攻修士課程修了(1979年〔キーマンが語るトウキョウ地図 第1回 建築家 隈研吾氏「都市を前に進める新たなエンジンが必要」 - 社団法人東京建設業協会〕)。在学中は、芦原義信、槇文彦、内田祥哉、原広司らに師事。同級生には小林克弘(首都大学東京教授)や大江匡(建築家)、村田誉之(大成建設)がいた〔自分の道が分からずもがき苦しむ、隈研吾氏に聞く(1) - ケンプラッツ〕。 日本設計、戸田建設、コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員(1985年 - 1986年)を経て、1990年に隈研吾建築都市設計事務所を設立する。法政大学工学部建設工学科非常勤講師、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授(1998年4月から1999年3月)、早稲田バウハウス・スクール講師(1999年から2002年、春・夏)、慶應義塾大学理工学部客員教授(2002年4月から2007年3月)慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授(2007年 - 2009年3月)、アメリカイリノイ大学建築学科客員教授(2007年 - 2008年)を経て、2009年4月より東京大学工学部建築学科教授。2007年3月に博士論文「建築設計・生産の実践に基づく20世紀建築デザインと大衆社会の関係性についての考察」を慶應義塾大学に提出し博士(学術)の学位を取得。2008年フランス・パリにKuma & Associates Europe設立。 初期はM2(自動車のショールーム)などポストモダニズムに一部脱構築主義要素を加えた建物を発表していたが、高知県高岡郡梼原町の「ゆすはら座」存続への関わりをきっかけとして〔テレビ東京「カンブリア宮殿」2011年8月4日放送 〕、木材などの自然素材を生かした建築や、縦格子を多用したデザインが特徴的な作品を多く手がけるようになる。近年は活躍の場を海外にも広げ、国際コンペでの受賞も着実に増やしており、世界的に注目される日本人建築家の1人として認識されつつある。また設計の他、室内演出や家具・食器などのデザイン、ホテルやマンションの監修も手がける。 愛知万博では会場・パビリオンの設計に携わっていた(会場計画プロジェクトチーム)が、自然保護団体の反対で度々計画が縮小したため、辞任した。 中国、北京郊外のGreat (Bamboo) Wallは北京オリンピックのCMにも使われた〔再発見、日本建築の底力─『自然な建築』(隈研吾著) (JBpress 隈研吾インタビュー)〕。韓国では、知韓派の建築家とて活動している〔http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/08/2014060800461.html〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「隈研吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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