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隈部城 ( リダイレクト:菊池城 ) : ウィキペディア日本語版 | 菊池城[きくちじょう] 菊池城(きくちじょう)は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城跡で、菊池氏の本拠であった。通常、菊池氏の本城(居城)を隈府城とするので、別名で隈府城とも呼ばれる〔もともと鞠智城と表記されたが、平安時代に菊池城と表記されるようになった。鞠智が菊池となった理由に、公家の遊びである蹴鞠の『鞠』を憚って文字を変更したとする説がある〕。 == 変遷 == 菊池十八城と呼ばれる城砦の一つで、正平年間に菊池武政により築城された〔寄合衆内談の事の精神により、赤星氏・甲斐氏・領民に配慮して、菊池氏は伝統的に篭城戦をとらず外に討って出ることが多かった。菊池城周辺は山や大河に囲まれているにもかかわらず平場近くに築かれた。〕。菊池氏は九州における南朝方の有力者で、後に肥後守護に任じられ現菊池市は城下町として栄えた。戦国時代に入ると菊池氏は内紛を繰り返して衰退し、家督を阿蘇氏や豊後大友氏に奪われ菊池氏正統は没落した。 後、菊池氏の一族で菊池三家老の赤星親家が城主となるが、同じ菊池三家老の隈部親永に圧迫され、1578年(天正6年)親家の子赤星統家の時、龍造寺氏と結んだ親永によって赤星氏は菊池城を追われた。1580年(天正8年)親永が入城し、北上する島津氏と対峙したが、隈部氏は篭城してこれを凌いで島津氏と和睦し所領を安堵された。 1587年(天正15年)羽柴秀吉の九州平定後、親永は佐々成政の配下に組み込まれるが、同年親永が菊池城に拠って成政に反抗したため、反乱が鎮圧された後に菊池城は破却された。
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