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障子紙 : ミニ英和和英辞書
障子紙[しょうじがみ]
(n) shoji paper
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障子 : [しょうじ]
 【名詞】 1. paper sliding door 
障子紙 : [しょうじがみ]
 (n) shoji paper
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
障子紙 ( リダイレクト:障子 ) : ウィキペディア日本語版
障子[しょうじ]

障子(しょうじ)は、日本家屋におけるに用いる建具の一つで、明かりを通すように枠に張り(主に和紙、今では「化繊入り紙」もある)になっているものは明障子(あかりしょうじ)ともいう。
元来は現在の(襖障子)も含めて障子(さえぎるものの意)と言った。平安時代に「明障子」として襖から分離した。を閉じたまま採光できるという機能により広く使われるようになった。ガラスが普及するようになって使用は減ったものの、ガラス併用の障子なども作られ消滅することはなかった。一部がガラスになっていて障子部分が開け閉めできるものを雪見障子という。(地域などによって名称が曖昧であり、擦り上げ障子が付いているものを猫間、無いものを雪見と区別している場合あり)
古来より、日本家屋独特のほの暗さの文化や陰翳を演出するものとして、日本の建築文化の象徴的な存在であった。
近年は、適用範囲の広い意匠性と適度な透光性のほか、ガラス戸との組合せによる断熱効果、紫外線の軽減効果、紙による調湿効果といった優れた性能が評価され、洋室においてもカーテンの代替として障子が用いられる〔障子で断熱、あったか“魔法瓶”の部屋 読売新聞〕。
障子紙については家庭用品品質表示法の適用対象とされ雑貨工業品品質表示規程に定めがあり、日本工業規格(JIS S 3102)で形状や寸法などの規格が定められている〔日本工業規格(JIS S 3201)〕。
== 明障子の歴史 ==

=== 明障子の誕生 ===

明障子の誕生は、平安時代末期の頃で、襖よりもおよそ100年程後に工夫されたと推測されている。建具の構造としては、間仕切りとしての隔ての機能をもつ襖に近く、さらに襖よりも簡素ながら、隔てと採光という矛盾した機能を併せもつ明障子の発明は、画期的なことであった。
平安時代後期になると、引き違いの格子戸が広く使用されるようになった。『源氏物語絵巻』『年中行事絵巻』などには、黒漆塗の格子戸を引き違いに使ったり、嵌め込み式に建て込んだ間仕切りの様子が描かれている。
天喜元年(1053年)藤原頼通が建立した平等院鳳凰堂は四周の開口部には扉を設けているが、その内側に格子遣戸も併せ用いている。このような格子遣戸の用い方は、隔ての機能を果たしながら、採光や通風を得ることができる。機能としては、明障子の前身ともいうべきものである。
現在のような薄紙を貼った明障子の誕生は、平安末期のころである。六波羅の地には平家一門の邸宅が、を競って建ち並んでいた。なかでも平清盛の六波羅泉殿は、その権勢を象徴する豪壮な邸宅であったという。その復元図によると、従来の寝殿造りとはかなり異なり、間仕切りを多用した機能的合理的工夫がみられる。
その中でも、明障子の使用は画期的な創意工夫であった。
室外との隔ては、従来壁面を除き蔀戸舞良戸が主体であり、開放すると雨風を防ぐ事ができず、誠に不便な建具であった。採光と隔ての機能を果たすため、や格子などが使用されていたが、冬期は誠に凌ぎにくかった。京都盆地なので、ことに冬期は底冷えする。室内では、屏風をめぐらし、几帳で囲み火鉢を抱え込んだと思われる。
隔てと採光の機能を充分に果たし、しかも寒風を防ぐ新しい建具として、明障子が誕生した。しかし、明障子のみでは風雨には耐えられないため、舞良戸、蔀、格子などと併せて用いられた。六波羅泉殿の寝殿北廂では、外回りに明障子が三間にわたって使用されていた。
『山槐記』には、この寝殿や広廂に「明障子を撤去する」とか「明障子を立つ」などの記述もある。
平清盛願文を添えて長寛二年(1164年厳島神社に奉納した『平家納経』図録には、僧侶の庵室に明障子が描かれている。
この時代の明障子の構造は、四周(ししゅう)に框(かまち)を組み、太い竪桟二本に横桟を四本わたし、片面にまたは薄紙を貼ったものであったという。
寝殿造りの室礼を記した古文書の中に、「柱をたてまわして鴨居を置きてのち、塗子(ぬりこ)の明障子を間ごとに覆う」とある。
『春日権現験絵日記』にも、黒塗りの明障子が描かれている。また、襖障子と同じように、引手に総が付けられている。明障子の歴史的発展の過程で、漆の塗子の縁が寝殿造りに使用され、襖障子と同様な室礼としての位置付けがあったことは注目に値する。
框に細い組子骨を用いる現在のような明障子は、鎌倉時代の絵巻物に多く登場するようになるが、多少の時間と技術改良を必要とした。
明障子は壊れやすく、現存するものは極めて少ない。南北朝康暦二年(1380年)の東寺西院大師堂の再建当時のものとされている明障子が、最古の明障子といわれている。上下の框と桟も同じような幅でできており、縦桟と横桟を交互に編み付ける地獄組子となっており、また桟の見付けと見込みもほぼ同じ寸法でできている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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