|
隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身で八角部屋所属の現役大相撲力士。身長191cm、体重165kg、血液型はO型。島根県立隠岐水産高等学校出身。本名は福岡歩(ふくおか あゆみ)、愛称はあゆみ。長身に胴長短足、深い懐を活かした右四つ・寄りが持ち味〔『大相撲ジャーナル』2014年2月号58頁〕〔『大相撲ジャーナル』2014年2月号15頁〕。最高位は、西関脇(2015年3月場所)。 ==来歴== ===入門まで=== 島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)で生まれる。出身の隠岐島には、神社の改修などの慶事があれば夕方から翌日の昼まで相撲を取り続ける「古典相撲」の風習があり、本人もそれに親しみ4歳から廻しをつけていた。本格的に相撲を始めたのは西郷小学校4年生からで、兄や周囲の友達が始めた影響で中学3年まで近くの相撲クラブに通った。地域の相撲クラブに通って稽古で鍛えた結果、全国大会にも小学校4年生から小学校6年生まで出場するなど結果を残した。しかし相撲にそれほど興味もなく「正直、行くのが嫌で嫌で仕方なかった」そうだったが、稽古が終わった後に一緒に食べる食事などが楽しかったと後に当時を語っている〔島の伝統、土俵が身近に 大相撲・隠岐の海歩(中) 日本経済新聞 2010/4/21 7:00 〕。 西郷中学校でも相撲を続け、3年生の時には全国中学校体育大会に出場した。進学した隠岐水産高校では3年連続でインターハイにも出場し、ベスト32の実績を持っている。しかし、後に同期生となる豪栄道(埼玉栄)と栃煌山(高知・明徳義塾)が高校横綱を始めとして数々のタイトルを手にしたことに比べて実績に劣っていたことから力士になりたいという憧れはなく、代わりに船を操舵する航海士を目指し、実習船に乗りハワイへ航海に出た。同じく高校在学中に3級海技士の筆記試験に合格、同校卒業後は2年間の専攻コースに進学し再び実習船に乗り、3ヶ月ほど航海をしたが集団生活になじめなかったことで今後航海士としてやっていけるか心配になり、同年11月に高校の専攻コースを中退した。 将来に漠然とした不安を感じていたとき、高校相撲部の顧問から電話がかかってきた。八角親方(元横綱・北勝海)とその知人が高校相撲部の後輩の竹谷(現・隠岐の富士)をスカウトしに島を訪れるので、食事会に一緒に来ないかという。「旅行感覚だった」という八角に「軽い気持ちで」参加した隠岐の海であったが、親方の知人に熱心に勧誘され「ここで終わる人間じゃない。やっぱり夢を見たい」とその気になった。父も後押ししてくれたことで1週間で八角部屋への入門を決断し、新弟子検査の2日前に上京した〔 日本経済新聞 2010/4/21 16:02 〕。ちなみに八角親方の現役時代は全く知らず、師匠に出会っていなければ力士になっていなかったという。2005年1月場所に初土俵を踏んだ同期には、豪栄道、豊響、栃煌山、同部屋の朱雀らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「隠岐の海歩」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Okinoumi Ayumi 」があります。 スポンサード リンク
|