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雄別鉄道(ゆうべつてつどう)は、北海道釧路支庁管内釧路市の根室本線釧路駅から、同管内阿寒郡阿寒町(現・釧路市阿寒町)の雄別炭山駅までを結んでいた鉄道路線などを運営していた炭鉱鉄道会社。 雄別鉄道の親会社である雄別炭礦が運営していた尺別鉄道線についても本項で記載する。 == 概要 == 東証一部上場企業雄別炭礦の子会社として三菱金曜会に所属していた。本社は東京都千代田区丸の内1-2永楽ビルに所在した。1960年の総社員数は4,828名、売上高は678億円であった。 元は炭鉱鉄道会社の雄別炭礦鉄道が炭鉱と鉄道を一体で経営と運営を行っていたが、1959年(昭和34年)9月1日に雄別炭礦株式会社を親会社として、鉄道部門を経営分離し雄別鉄道株式会社が発足した〔釧路市地域史研究会 『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』 釧路市 、2006年10月。〕。ただし尺別線(当時は専用鉄道)は雄別炭礦による経営として継続した。 1969年、茂尻鉱で発生した人身事故が原因で廃坑となり1970年2月以降の社員の給与支払いの見通しがたたなくなるほど急激に資金繰りが悪化したことで雄別炭礦も閉山し、同年4月に住人の移転作業が終了し鉄道業務も停止した。 倒産直前の1970年2月に再び雄別炭礦に吸収合併されたのは、大谷正春によると鉄道財団の一般職員として給与を提供するためであったとされる。この合併は炭鉱閉山で失職する鉄道従業員に対して炭鉱職員の身分を与え、離職者手帳の交付対象に加えるためとも云われているが、第96回国会商工委員会議事録には「雄別炭礦の岡田社長が雄別閉山のときに、閉山交付金は直轄事業員には支払われたけれども、雄別鉄道の組合員には払われなかった。これは私に責任がある。と言って当時の世田谷の私邸を売った」との対馬孝且委員の発言記録があるためこの見解はあたらない。結果的にはそれなりの旅客需要がありながら近郊鉄道として更生ができず鉄道が炭礦と運命を共にすることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雄別鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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