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菊池 雄星(きくち ゆうせい、1991年6月17日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 岩手県盛岡市生まれ。小学3年生の時に見前タイガースで一塁手として野球を始める。盛岡市立見前中学校では盛岡東シニアでプレー。この頃から本格的に投手へ転向した。3年春に東北大会準優勝。東北選抜の一員に選ばれると全国大会準優勝に貢献し、花巻東高校に進学〔。 高校1年時、第89回夏の甲子園に出場。一回戦・新潟明訓高校戦にリリーフ登板し5回を1失点に抑えるもその1点が決勝点になりに0対1で敗退。この試合では145km/hの速球を投げたが、速球にこだわりすぎたことにより制球が乱れ、秋の県大会では1回戦敗退に終わった。 2年春には球速も149km/hまでアップ。腰痛不安で公式戦初先発となった2年春の東北大会準々決勝・仙台育英戦では6対2で完投勝利した。夏は県大会準々決勝で敗退。 3年春に秋の試合内容が高く評価され、逆転で第81回選抜に出場。初戦の鵡川高校戦では最速152km/hを記録、9回1死まで無安打の投球で2安打完封。2回戦明豊戦でも9安打を浴びたが、勝負どころでは凄みを見せ2試合連続の完封〔。準々決勝・南陽工戦ではビハインドの状況でリリーフ登板、4回無失点で逆転勝利。準決勝・利府戦では2点本塁打を浴び初失点を喫したが5安打2失点完投。決勝では、清峰高校の今村猛(現・広島)との投手戦になるも0対1で敗れ、岩手県勢初の優勝とはならなかった。3年夏は春に続き第91回選手権に出場。春の選抜決勝で戦った清峰高校は、長崎大会準々決勝で長崎日大高校に敗れていたが、選手権1回戦で奇しくも清峰を破った長崎日大とあたり、3本塁打を打たれながらも8対5で勝利。岩手県勢では夏の甲子園41年ぶりのベスト8進出を決めた東北高校戦では自己最速となる154km/hをマーク(甲子園の電光掲示板には154km/hと表示、ロッテスカウトのスピードガンでは155km/hを計時)。準々決勝では今宮健太(現・ソフトバンク)を擁する明豊高校と当たり、4回までパーフェクトと好投を見せ、7対6で勝利するも、腰痛を訴え5回にベンチに退いた。準決勝の中京大中京戦では背筋痛のため先発せず、4回2死満塁から登板するも打ち込まれ、わずか11球でマウンドを降板、1対11で敗れた。その後の精密検査で、左の5本目の肋骨が折れていたことが判明した〔。 ドラフト会議前にはメジャーリーグ球団からも注目され〔、元々の志望もありアメリカでのプロ入りも考え、国内12球団に加え、メジャーの8球団とも面談。中でもテキサス・レンジャーズとの面談では、この年メジャーに定着したデレク・ホランドが同席した。全球団との面談終了後には「どちらも素晴らしいと思った。今は決めかねている。どちらも行きたいのが正直な気持ちで、話を聞く前よりも迷っている」と語ったが、10月25日に「まだまだ自分のレベルでは世界で通用しないと思った。日本の方全員に認められてから、世界でプレーしたいと思いました」として日本のプロ野球でプレーすることを表明。ドラフト会議当日は、西武、阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムの6球団による1位指名を受け、競合の末、西武が交渉権を獲得。11月21日に契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で仮契約し、背番号は17に決まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊池雄星」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yusei Kikuchi 」があります。 スポンサード リンク
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