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雄橋(おんばし)は広島県庄原市東城町の帝釈峡にある天然橋。1987年(昭和62年)5月12日に国の天然記念物に指定された。 ここでは雄橋の下流にある雌橋(めんばし)についても解説する。 == 雄橋 == カルスト地形での浸食作用によって形成された〔現地設置の案内板(庄原市教育委員会が平成22年3月に設置したもの)に記載〕。もともとは鍾乳洞であったものが、侵食の進行によって落盤し、橋状に残されたと考えられている〔文化財今昔 (11) 雄橋(広島県庄原市) 価値見直される天然橋 2005年09月20日 夕刊-3版 6頁 『山陽新聞』夕刊 写有 (全829字)〕。台地の浸食が始まり橋が形成された時期は資料によってまちまちであるが、最近では第四紀の終わり、数十万年前以降〔地質学雑誌, vol.75(5), 1969〕〔天然記念物雄橋緊急調査報告書, 庄原市教育委員会, 2007〕〔大阪経済法科大学科学技術研究所紀要, vol.12(1), 2008〕。とされている。 長さは90 m, 幅19 m, 高さ40 mの規模〔「(橋に願いを)雄橋 広島県 水が示した、積年の「力」」『朝日新聞』東京版夕刊3ページ 夕刊be火曜2面、2010年11月30日〕であり、下を流れる帝釈川の水面からは橋の裏側まで18 mの高さがある。スイスのプレビシュ、アメリカ合衆国バージニア州ロックブリッジ郡の Natural Bridge とともに世界三大天然橋とされている〔。文政8年(1825年)の『芸藩通志』にも、雄橋が「神橋」(こうのはし)として紹介されている〔。また地域住民にとって雄橋は長く信仰の対象でもあった〔。橋の上は過去に実際に未渡地区と宇山地区の生活道として使用されていた〔ことが遺残する古地図や石像から判明しており〔、馬や馬車も通行していた〔。周辺の道路整備によって雄橋の上の道は使われなくなり獣道となった〔。橋の上には円礫層も見つかっており〔、かつて帝釈川が現在の30-35m上の位置を流れていたとされる〔。 * 2000年帝釈峡観光協会が雄橋の特別記念物への格上げを目指す活動を始めた〔帝釈峡観光協会 「雄橋を特別記念物に」 まず東城町教委へ要請(広島県)中国新聞 2000年05月26日 中国朝刊 北B/総合東 写有 (全542字)〕。 * 2003年に帝釈観光振興協議会と東城町によってライトアップが開始されたが、「生態系に影響を及ぼす」として広島県が翌年以降の実施にストップをかけた〔ブランド輝け 第2部 全国区 <3> 帝釈峡 『中国新聞』2009年05月05日 朝刊 連載 県北 (全783字)〕。 * 2011年5月豪雨によって雄橋西側の歩道の反対側の斜面が幅6m、高さ20mにわたり崩落し、一度地中の石灰岩も崩落した。県北部農林水産事務所は、観光客の安全のため調査を行った〔帝釈峡 「雄橋」西側の山肌崩落 雨で地盤緩む 県が安全確保へ調査 2011年05月21日 備後2-15版 25頁 『山陽新聞』朝刊 写有 (全650字)〕。 付近に「鬼の唐門」という同様の形成行程の天然橋が存在し、下を歩いてくぐることができる。「鬼の唐門」の上側には「鬼の窓」と呼ばれる鍾乳洞跡を望むことができ、ともに帝釈川の支流によって形成されたと考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雄橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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