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厳 敏永(オム ミニョン、1915年2月4日 - 1969年12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の政治家、官僚。日本名は雉山 敏夫(きじやま としお)。 == 生涯 == 慶尚北道慶山郡にて誕生。1939年に九州帝国大学法文学部を卒業。高等文官試験行政科に合格して朝鮮総督府の官吏となった。日本統治時代末期に、全羅北道任実郡と茂朱郡の郡守を務めた。 太平洋戦争(大東亜戦争)終戦後は、全羅北道農商部長と全羅南道農林局長を務めた。その後は教育職に転向し、大邱大学校教授とソウル大学校法科大学教授を務めた。1957年に慶煕大学校法学部の学部長に就任。 1960年の四月革命により第一共和国が崩壊した後は、民主党所属で参議院議員に当選。1961年に5・16軍事クーデターが発生すると、金度演が主導した自由民主党に合流。だが自由民主党の旧民主党系で内紛が発生し、蘇宣奎と衝突。厳敏永は自分の会派を率いて民主共和党へ移動。朴正熙は厳敏永を国家再建最高会議議長顧問に起用した。第三共和国にて内務部長官を2度務め、1967年より駐日大使に着任。在任中の1969年12月10日に54歳で逝去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「厳敏永」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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