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雑賀城(さいかじょう)は、戦国時代に現在の和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目付近に存在した日本の城(丘城)。妙見山城とも呼ばれた。 == 概要 == この城は鈴木重意(佐太夫)が築いた城で、妙見山上に「妙見堂」が建つ丘山上の北側に「千畳敷」と呼ばれる台状地があり、ここに居城を構えた。それを中心に、東に侍屋敷、西は町屋を置いて、中世の城下町を形成していたと思われている。いつの頃まで存在したのかは不明であるが、遅くとも秀吉が紀州征伐をする1585年(天正13年)には廃城となっていたであろうと推察される(この年から和歌山城築城が開始される)。 和歌山市の一部に当たる雑賀地方は、十ヶ郷、雑賀庄、中郷、宮郷、南郷の5ヶ郷からなる。鈴木氏、土橋氏、島村氏、栗村氏、松江氏、宮本氏らが族党をつくり雑賀衆となった。鈴木重秀(雑賀孫市)は、雑賀衆を代表する者であった。雑賀地方は、京に近く戦乱の影響を受けやすかったのに加え、畠山氏・山名氏・大内氏が紀伊国守護となったが、実質的支配ではなかったことが、民衆の自立心を育て、「惣」による合議的政治運営が発達する。平時は耕地や漁猟に従事し、合戦があるたびに団結して力を発揮していた。 また、早くから「一向宗」の信仰が広まったこともあって、精神的なよりどころともなっていた。それ以上に、大坂という近傍にある武力を持った宗教勢力として、同盟的な意味もあったのではないかと推測できる。但し、宮郷・中郷・南郷は「根来寺」の影響を強く受けており、一枚岩ではなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雑賀城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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