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雙葉中学校・高等学校 : ミニ英和和英辞書
雙葉中学校・高等学校[ふたばちゅうがっこう こうとうがっこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中学 : [ちゅうがく]
 【名詞】 1. middle school 2. junior high school 
中学校 : [ちゅうがっこう]
 【名詞】 1. junior high school 2. middle school 3. lower secondary school 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学校 : [がっこう]
 【名詞】 1. school 
: [こう]
  1. (n,n-suf) -school 2. proof
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高等学校 : [こうとうがっこう]
 【名詞】 1. senior high school 
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)

雙葉中学校・高等学校 : ウィキペディア日本語版
雙葉中学校・高等学校[ふたばちゅうがっこう こうとうがっこう]

雙葉中学校・高等学校(ふたばちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都千代田区六番町に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校雙葉中学校の学校情報(中学受験パスナビ) の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と記されている。〕。キリスト教系(カトリック)の女子校である。
設置者は、幼きイエス会(旧称サン・モール修道会)を母体とする学校法人雙葉学園
桜蔭中学・高校女子学院中学・高校とともに、女子御三家と称される。
== 概要 ==
雙葉中学校・高等学校の設立の源流は、17世紀半ばのフランスに遡る。当時フランス国内は貧富の差が激しく、宗教戦争などで混乱していた。貧しい家庭の子どもたちは社会の誰からも顧みられておらず、教育も受けずに打ち捨てられていた。ミニム会修道士ニコラ・バレ神父 (1621-1686) はそのことに心を痛め、彼らが神の子の尊厳にふさわしく育つのを助けるため、1662年、無料の小さな学校を始めた。評判を集め、読み書きや手仕事、お祈りなど、のような学校があちこちにできたという。さらに能率を上げるため、いくつかをまとめ、役割分担をし、そこで教師として働く修道女(シスター)たちのためのサンモール修道会(1991年に「幼きイエス会」と名称変更)を2年後に設立した。バレ神父は、後に、「貧しく、うち捨てられた子どもを受ける者は、まさに、イエス・キリストご自身を受けることになる。これこそ、本会の第一の、そして主要な目的である。」と書いた。女教師達が社会の人々の必要に応じてどこにでも出かけて行くことができるようにと、誓いを立てず恒久的な持ち家も持たない、革新的なグループであったという(当時、女子修道院はすべて隠世大修道院であり、誓願を立てた修道女はその敷地の中だけで暮らすことになっていた。)。会員の生活を保障するものは、神の摂理だけである。
1872年明治5年)、「キリシタン禁制の解かれる希望が見えてきた。今すぐ宣教女に来てほしい」というベルナール・プティジャン司教からの要請に応え、メール・マチルド他4名のシスターが修道女としては初めて横浜に来日した。当時横浜には捨て子や孤児が多く、山手居留地58番に外国人子女教育および貧困孤児養育事業を開始。山手居留地83番に「横浜修道院」、また「仁慈堂」(じんじどう)と名付けられた孤児院を開設した。「仁慈堂」は350人もの子供と80人の乳幼児を収容。1875年(明治8年)正式な孤児院として認可、1900年(明治33年)山手88番に一般の子女を対象にした横浜紅蘭女学校開校、現在の横浜雙葉の前身となる。孤児院は1902年普通教育を授ける菫(すみれ)女学校となったが、関東大震災で横浜紅蘭女学校と共に壊滅。菫女学校は東京に移り、太平洋戦争開戦によって歴史を閉じることになる。
東京においては、1875年(明治8年)築地明石町に語学学校を設立、現在の雙葉学園の前身となる。1909年(明治42年)、築地明石町に雙葉高等女学校を設立(初代校長はメール・セン・テレーズ)。翌年、現在の四谷の地に移転するとともに雙葉小学校幼稚園を設立した。
メール・セン・テレーズは、カトリックの教義を教えるというよりも、立派な日本婦人を育てたい、よい母親をつくりたいという思いが強くあった。母親がよければ家庭はよくなり、家庭がよければ地域はよくなり、地域がよければ国がよくなって世界もよくなるという、たいへん高い理想を持っていた。「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓を大事にして、素直で明るくて裏表がなく、さわやかな品性を備え、人間としてやるべきことを責任を持ってやり抜く強さを持った女性を育てたいという強い気持ちを持っていた。
校名の「雙葉」はフタバアオイから取られた。サンモール修道会が1897年(明治30年)、東京の赤坂葵町に語学塾(英語フランス語・西洋作法・西洋技法)を開き、その町名から「雙葉会」と名付けた。フタバアオイは2枚の葉をつける。それと同じように、西洋女子と日本女子が手を携えてほしい、との願いが込められた。キリスト教を迫害した徳川氏紋章でもあり、感慨深いとも書かれている。
創立以来、カトリックの精神に基づき、一人一人を大切にし、個の無限大の可能性を引き出し、神に与えられたその人ならではの使命に気付かせる教育を行っている。
設立の経緯から現在でもフランス語教育は重視され、中学3年で全員がフランス語を週1.5時間学ぶ。高校では、英語またはフランス語を選択履修する(フランス語選択者は例年15人程度)。
高校からの募集は行わない完全中高一貫校。幼稚園から40名、小学校から40名、そして中学校から100名が入学し、中高では1学年180名となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「雙葉中学校・高等学校」の詳細全文を読む




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