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難波 宗勝(なんば むねかつ、天正14年12月6日(1587年1月14日) - 慶安4年3月21日(1651年5月10日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の公卿。後陽成天皇の後宮において官女との乱交事件を起こした人物。権大納言飛鳥井雅庸の次男。兄に飛鳥井雅賢(ともに乱交事件を起こし配流)がいる。前当主難波宗富の死去後中絶していた難波家を再興した。のち名を、飛鳥井 雅胤、そして雅宣と改め、飛鳥井家を継いだ。従一位権大納言に至る。法名は潜龍院太素演雅。 慶長5年(1600年)に難波宗勝として叙爵、侍従に任ぜられた。慶長12年(1607年)には左近衛少将となったが、翌慶長13年(1608年)に猪熊教利・兄飛鳥井雅賢らと一緒に御所の官女と密会して乱交に及ぶ事件を起こした(猪熊事件)。後陽成天皇の勅勘を被り、慶長14年(1609年)に伊豆へと流された。兄雅賢は隠岐に配流されたまま寛永3年(1626年)流刑地で死去することとなるが、宗勝は慶長17年(1612年)勅免により帰京。翌慶長18年(1613年)8月3日、名を雅胤と改め、生家飛鳥井家の相続を赦された。難波家のほうは、子の宗種が継承した。寛永16年(1639年)権大納言となるが、翌17年(1640年)には権大納言を辞す。寛永21年(1644年)武家伝奏となる。慶安4年(1651年)3月16日には従一位に至ったが、同年3月21日、66歳で薨去。飛鳥井家は弟雅章が継いだ。 ==参考文献== *近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年 *橋本政宣 編『公家事典』、吉川弘文館、2010年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「難波宗勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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