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難波津の歌(なにわづのうた)は、古今和歌集の仮名序で「おほささきのみかどをそへたてまつれるうた」として紹介されている、王仁の作とされる和歌。 == 概要 == 応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合ったため、3年間も空位となっていたが、のちに難波高津宮において大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となった際、その治世の繁栄を願って詠まれた歌とされている。なお、この歌に詠まれている花は桜ではなく梅である。 仮名序で安積山の歌と並んで「手習ふ人のはじめにもしける」と言われたように、古来書道の初学としても用いられた。実際に徳島県の観音寺遺跡から、万葉仮名で「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」と記された7世紀のものとみられる習書木簡〔アワコウコ楽サイト内の木簡写真 (徳島県立埋蔵文化財総合センターによる一般向けの考古学サイト)2013年1月7日閲覧〕が出土しているのをはじめ、各地から数多くこの歌を記した木簡が出土している〔佐藤信 (2002) pp.168-173〕。平安時代には「難波津の歌」と言えば「誰でも知っている歌」の代名詞となっていた。 競技かるたにおいては競技の開始時に難波津の歌を詠むことが通例となっているが、決まり字の「いまは」との混同を避けるため、四句は「今“を”春べと」に変更されている。 大阪市の行政区である浪速区と此花区は、どちらも1925年(大正14年)4月1日に難波津の歌から区名を引用して誕生した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「難波津 (和歌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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