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雨を見たかい : ミニ英和和英辞書
雨を見たかい[あめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あめ]
 【名詞】 1. rain 

雨を見たかい ( リダイレクト:クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル#代表曲en:Have You Ever Seen the Rain? ) : ウィキペディア日本語版
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル[あめ]

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival、略称CCR)は、アメリカバンドカリフォルニア州サンフランシスコ出身であるが、アメリカ南部風のサウンドを持ち味とした、カントリー・ロック・スワンプ・ロックの先駆者的存在だった。活動期間は短いながらもロック界に大きな足跡を残し、1993年ロックの殿堂入りを果たした。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第82位。
== 来歴 ==
1959年ジョン・フォガティスチュ・クックダグ・クリフォードの3人が中学校時代に出会って結成されたブルー・ベルベッツを前身とする。後にジョンの兄で、既にバンド活動をしていたトム・フォガティが加入する。メンバーは全員がバークレー (カリフォルニア州)出身。1967年サンフランシスコファンタジー・レコードと契約し、バンド名をゴリウォッグスと変えてデビュー。ゴリウォッグスは「醜い面相の男たち」という意味であり、メンバーは無理やりレコード会社に着せられた衣装と共に、この名前も気に入らなかった〔2010年4月22日放送 BS-TBS 「Song To Soul」#44 雨を見たかい - ジョン・フォガティ以外のメンバー、エンジニア等のインタビューで構成されている〕。
1968年にバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改めた。クリーデンス(信用)はトムの友達の名前「クリーデンス・ニューボール」から、クリアウォーターはオリンピック・ビールのCMを見ていて流れる水の映像が気に入ったことと、メンバーの関心事であったエコロジーの観点から、リバイバルはバンドの復活、新しいバンド名での再出発との意味をこめて名付けられた。
同年にデビュー曲として発表した、ルイジアナのシンガーソングライター、デイル・ホーキンスのカバー「スージーQ(en)」がヒットした。ファースト・アルバムにはこの長尺な「スージーQ」、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスen)の「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー(I Put A Spell On You)(en)」カバーなどが収録され、内容はブルース・ロック色とサイケデリック・アレンジが色濃く当時ヒッピー文化が全盛だったサンフランシスコでは典型的な内容で、その後サイケデリック色を排して異色の存在として脚光を浴びる。
1969年から1971年にかけて、彼らの代表曲となる「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばす。ところが「プラウド・メアリー」(3週連続)、「バッド・ムーン・ライジング」、「グリーン・リヴァー」、「トラヴェリン・バンド」(2週連続)、「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」という、この5曲は全てビルボード・シングルチャートで全米第2位に泣かされている。全米No.1を獲得出来なかったアーティストの中で最多5曲の全米第2位楽曲を持つという珍記録になっている。
CCRの音楽はスワンプ・ロック(南部のロック)と呼ばれたが、メンバーはカリフォルニア(西海岸)出身。スチュは「音楽雑誌の記者たちは勝手に南部出身だと思い込んでいた。僕らの音はジョンの想像世界と南部の音楽への憧れから生まれたもの。スワンプ・ロックとは、流行のロックンロールとは違う僕らの音楽を、分類して記事を書きやすくするために作られた造語」と語っている。1969年2枚目のアルバム「バイヨー・カントリー(Bayou Country) 」でバイユー(ルイジアナ )を取り上げ、一帯のリアルな描写が歌われ、楽曲「プラウド・メアリー」はジョンがミシシッピ川を連絡する蒸気船「メアリー・エリザベス号(Mary Elizabeth)」の写真から想像し〔着想のはじまりは女給仕についての歌だったが船の歌に変化したという。〕書き上げ、この曲がヒットし演奏公演で初めてアメリカ南部地域を訪れ、その際に「メアリー・エリザベス号」を見物したという逸話があり、カントリー・ミュージック影響が濃いCCRとはいえレコード盤などを聞いた音楽経験と空想や憧憬だけで作られたことは信じられず南部出身のバンドと思われていた。
前途洋々かと思われたバンドだったが、楽曲のほとんどを作曲し、サックスからピアノまで自分で演奏するジョンの才能に注目が集まりすぎた故にメンバーの仲がギクシャクし(ジョン以外のメンバーがベーストラックの録音のみに参加した曲もあった)、1971年にバンドの実質的マネージャーも務めていたトムが脱退。ジョンが新マネージャーとして連れてこようとしたアラン・クレインは、「ビートルズを解散させた男」として悪評高い人物だった。翌1972年に発表した7枚目のアルバム「マルディ・グラ」は、各メンバーの曲やボーカルも取り入れた民主的な作品であったが失敗に終わり、バンドはあっけなく4年で解散した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Creedence Clearwater Revival 」があります。




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