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雨宮 亘(あめみや わたる、明治2年7月26日(1869年9月2日) - 大正7年(1918年)9月4日)は日本の実業家。 明治2年(1869年)7月26日山梨県七里村広瀬久光の三男として生れる〔実家は大地主『人事興信録. 4版』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔『過去六十年事蹟』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔『人事興信録. 4版』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。弟に実業家衆議院議員の若尾璋八がいる。帝国大学(現在の東京大学)を首席で卒業。明治27年(1894年)3月に雨宮敬次郎の婿養子となる〔。敬次郎は工学士である亘に岩手県の仙人鉄山(仙人製鉄所)の経営をまかせた〔大正9年(1920年)以降休山閉山中川浩一 他『軽便王国雨宮』丹沢新社、1972年、22-23頁〕。明治34年(1901年)横川目村の国有林の払下げを受け製鉄所までのトロッコを建設。やがて製品輸送のため製鉄所から黒沢尻駅まで軌道を敷設し一般にも利用できる和賀軽便人車軌道(→和賀軽便軌道)〔『日本全国諸会社役員録. 明治40年』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕となった〔荻田栄治『岩手のトテ馬車』1986年、92-93頁〕。敬次郎が明治44年(1911年)に亡くなると大日本軌道などの事業を引き継ぎ大正6年(1917年)古河と組んで旭電化工業を創立する〔『日本全国諸会社役員録. 第25回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕も大正7年(1918年)9月4日早逝した。従六位を叙する〔「叙任辞令」『官報』1918年9月5日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。同じ養子の豊次郎〔が事業を継ぐが大日本軌道各支社は次々と独立し、鉄道車輌製造部門の大日本軌道鉄工部(→大正8年(1919年)雨宮製作所)も関東大震災により壊滅。息子の雨宮四朗も早逝し、子供たちは幼くその財産や事業を失い、その後雨宮家は没落した。 華道家の池田佳子(佳甫)と歌人の雨宮雅子は孫にあたる。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雨宮亘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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