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雪見山堅太夫(ゆきみやま けんだゆう、生没年不詳)は、江戸勧進相撲が初めて木版刷りの縦一枚番付を発行した1757年(宝暦7年)10月場所の東大関に記載された力士である。宝暦7年10月場所以降江戸勧進相撲の番付が現在の日本相撲協会まで連綿と続いていることから雪見山を初代の大関に擬する向きもあるが、元々相撲興行は京・大坂が本場であり番付自体も京で1699年(元禄12年)、大坂で1702年(元禄15年)のものから写本や板番付等の形式で宝暦7年以前に50場所分近く残されていることもあり言葉遊びの域を出るものではない。 ==来歴== 肥前田代(現・佐賀県鳥栖市田代町)の出身。体重は37貫(139kg)あり、当時としては大型の力士である。当初は響野と名乗り、肥後の竹島甚四郎の門弟となる。後に雪見山と改め、熊本藩(当時は肥後藩と呼ばれていた)の大名お抱え力士となる。 剛力で右を差せば無敵であったと伝えられ、宝暦6年(1756年)に上方(京・大坂)に初上りして江戸には宝暦7年(1757年)10月に東大関として番付に登録される。以後、常に番付は上位に在り、明和8年(1771年)の京都興行の時に達ヶ関(谷風梶之助 (2代目)が谷風を名乗る1つ前の四股名)を見事な掬い投げで破り、評判となる。引退間際の安永4年(1775年)3月、下の名前を鉄右衛門と改名している。 引退後は九州相撲の頭取となり、八ツヶ峰住右衛門・筆ノ海金衛門らを門下に従え、育成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雪見山堅太夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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