|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 雪 : [ゆき] 【名詞】 1. snow ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple
雪蹊寺(せっけいじ)は、高知県高知市長浜にある臨済宗妙心寺派の寺院。高福山(こうふくざん)、高福院(こうふくいん)と号する。四国八十八箇所霊場の第三十三番札所である。本尊は薬師如来。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月 == 歴史 == 寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。 『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。〔『日本歴史地名大系 高知県の地名』、p.388〕。 寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない〔(植村拓哉、2012)、p.46〕。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという伝承もある。 その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 - 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。明治時代になると廃仏毀釈により一時廃寺となったが、大玄和尚が復興した。廃仏毀釈により廃寺となった時、寺院跡に隣接して秦神社が建立され長宗我部元親が祀られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雪蹊寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|