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雲井 浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井〔『朝日新聞百年の記事にみる――(1)恋愛と結婚』、朝日新聞社、1979年2月、PP117-118。〕、1901年(明治34年)7月23日〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P95〕 - 2003年(平成15年)8月20日)は、元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。兵庫県洲本市出身。夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行。娘に女優の坪内ミキ子がいる〔 卒業生1~8期生〕。実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、実妹は宝塚歌劇団16期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なほ子(本名:高井秀子)。義理叔父は坪内逍遥、逍遥の養女は飯塚くに。 この芸名は小倉百人一首の第76番:法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)の「海の原 漕ぎ出でてみれば 久堅の 雲居に紛ふ 沖つ白波(わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがう おきつしらなみ)」より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。 == 略歴・人物 == 1913年7月、湊山尋常・高等小学校(現・神戸市立湊山小学校)卒業後〔『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年4月、157号、P15〕に宝塚唱歌隊(同年12月に宝塚少女歌劇団養成会に改称。現・宝塚音楽学校)に箕面有馬電気軌道本社(現・阪急電鉄)から実姉の八十島揖子と共に11歳で転任〔『宝塚歌劇の70年』P50、高峰妙子の回想の記述より〕。宝塚歌劇団1期生〔。同期生に大江文子、由良道子、高峰妙子、小倉みゆき、初代若菜君子らがいる。 1914年4月 - 5月、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の初公演である『ドンブラコ』で猿役を演じた。当時12歳であった。 1919年、宝塚少女歌劇団を退団。 1919年3月21日、坪内士行と靭大神宮で挙式〔。 2003年8月20日、満102歳で死去。記録に残っている宝塚歌劇団生徒の中で最も長生きした人物である。また、宝塚歌劇団1期生最後の生き残りだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲井浪子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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