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雲井竜之助 : ミニ英和和英辞書
雲井竜之助[くもい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くも]
 cloud
雲井 : [くもい]
 【名詞】 1. sky 2. court circles or palace
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

雲井竜之助 ( リダイレクト:雲井龍之介 ) : ウィキペディア日本語版
雲井龍之介[くもい りゆうのすけ]

雲井 龍之介(くもい りゆうのすけ、1903年7月15日〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.140〕 - 1980年12月22日)は、日本俳優である。初期に雲井 淳(くもい あつし)と名乗った〔〔#外部リンク欄、「雲井竜之介」リンク先、日本映画データベース、2009年10月27日閲覧。〕。本名は澤 武史-、さわ たけし)〔。極東キネマでは、市川寿三郎綾小路絃三郎とともに「極東の三羽烏」と呼ばれた剣戟俳優である〔『無声映画俳優名鑑』、p.128。〕。
== 人物・来歴 ==
1903年(明治36年)7月15日東京府東京市(現在の東京都)に「澤武史」として生まれる〔。
1924年(大正13年)東亜キネマ等持院撮影所に入社〔、同年、「雲井淳」の名で、寿々喜多呂九平脚本、沼田紅緑監督の『斬奸』に久富美雄三役で出演する〔。1926年(大正15年)、主演俳優に昇格し、村越章二郎監督の『勤王』で新進スターとして売り出される〔。広瀬五郎監督の『剣侠受難』(1927年)、後藤秋声監督の『砂絵呪縛』(1927年)等に主演した後に、1929年(昭和4年)、河合映画に移籍した〔。同年の主演作『貝殻一平』は、5社競作の人気原作で、相手役には琴糸路が起用された。
1930年(昭和5年)、帝国キネマ演芸移籍、渡辺新太郎監督の『次郎吉ざんげ』等に出演〔、1931年(昭和6年)、同社が新興キネマに改組された。
1932年(昭和7年)には、東亜キネマを改組した東活映画社へ移籍、志波西果が監督した『夜明けの女』等に出演した〔が、同年、同社が解散したため、1933年(昭和8年)、日活太秦撮影所に移籍した。同社では、9本に出演し、大河内傳次郎の代役で出演した尾崎純監督の『へり下りの利七』〔を最後に、1934年(昭和9年)に片岡千恵蔵片岡千恵蔵プロダクション、1935年(昭和10年)には永田雅一第一映画マキノ正博マキノトーキー製作所と転々とした〔。
1936年(昭和11年)、前年に設立された極東映画に移籍、5年間に57本に出演した。1941年(昭和17年)、高田博文監督の『燃ゆる魂』に出演した後は、極東映画が合併して消滅し、事実上の引退となった〔。
1980年(昭和55年)12月22日、死去した。満77歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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