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雲井 龍之介(くもい りゆうのすけ、1903年7月15日〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.140〕 - 1980年12月22日)は、日本の俳優である。初期に雲井 淳(くもい あつし)と名乗った〔〔#外部リンク欄、「雲井竜之介」リンク先、日本映画データベース、2009年10月27日閲覧。〕。本名は澤 武史(沢-、さわ たけし)〔。極東キネマでは、市川寿三郎、綾小路絃三郎とともに「極東の三羽烏」と呼ばれた剣戟俳優である〔『無声映画俳優名鑑』、p.128。〕。 == 人物・来歴 == 1903年(明治36年)7月15日、東京府東京市(現在の東京都)に「澤武史」として生まれる〔。 1924年(大正13年)東亜キネマ等持院撮影所に入社〔、同年、「雲井淳」の名で、寿々喜多呂九平脚本、沼田紅緑監督の『斬奸』に久富美雄三役で出演する〔。1926年(大正15年)、主演俳優に昇格し、村越章二郎監督の『勤王』で新進スターとして売り出される〔。広瀬五郎監督の『剣侠受難』(1927年)、後藤秋声監督の『砂絵呪縛』(1927年)等に主演した後に、1929年(昭和4年)、河合映画に移籍した〔。同年の主演作『貝殻一平』は、5社競作の人気原作で、相手役には琴糸路が起用された。 1930年(昭和5年)、帝国キネマ演芸移籍、渡辺新太郎監督の『次郎吉ざんげ』等に出演〔、1931年(昭和6年)、同社が新興キネマに改組された。 1932年(昭和7年)には、東亜キネマを改組した東活映画社へ移籍、志波西果が監督した『夜明けの女』等に出演した〔が、同年、同社が解散したため、1933年(昭和8年)、日活太秦撮影所に移籍した。同社では、9本に出演し、大河内傳次郎の代役で出演した尾崎純監督の『へり下りの利七』〔を最後に、1934年(昭和9年)に片岡千恵蔵の片岡千恵蔵プロダクション、1935年(昭和10年)には永田雅一の第一映画、マキノ正博のマキノトーキー製作所と転々とした〔。 1936年(昭和11年)、前年に設立された極東映画に移籍、5年間に57本に出演した。1941年(昭和17年)、高田博文監督の『燃ゆる魂』に出演した後は、極東映画が合併して消滅し、事実上の引退となった〔。 1980年(昭和55年)12月22日、死去した。満77歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲井龍之介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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