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雲台二十八将(うんだいにじゅうはっしょう)は、後漢の光武帝の天下統一を助けた28人の功臣である。 ==概略== 永平年間〔『東観漢記校注』は『資治通鑑』巻44・漢紀36を根拠として永平3年2月とする。〕に明帝が前代の功臣たちに感じて洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせた〔『後漢書』列伝12。〕ことから「雲台二十八将」と称される。また永初6年の安帝の詔に「建武元功の二十八将は天命を受けた天子を扶けた勇猛な臣下であり、讖記(予言書)に徴兆がある」という〔『後漢書』列伝7・馮異伝。〕。 雲台にはその他の功臣、王常・李通・竇融・卓茂も加えられて計32人が顕彰された〔『後漢書』列伝12。〕ため、「雲台三十二将」と称されることもある。しかし、同じく光武帝の功臣のひとりである馬援は、すでにその娘が明帝の皇后となっていたため選ばれなかった。東平王・劉蒼が「なぜ伏波将軍(馬援)の像を描かないのですか」と尋ねたが、明帝は笑って答えなかったという〔『後漢書』列伝14・馬援伝。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲台二十八将」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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