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雲鷹(うんよう)は、日本海軍の航空母艦〔#達昭和17年8月p.39『達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝國艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)』〕。大鷹型航空母艦の2番艦〔#編制(昭和19年1月31日現在)p.4『艦艇類別等級別表|軍艦|航空母艦|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹』〕。 雲鷹は日本郵船所有の新田丸級客船八幡丸(やわたまる)を改装し、航空母艦としたもの〔。八幡丸の建造費用は政府の優秀船舶建造助成施設の適用を受けており、有事には徴用・改装されることがあらかじめ決められていた。 ==概要== === 建造経緯 === 雲鷹の前身である八幡丸は昭和初期に好況を博していた欧州航路の老齢船を置き換える目的で、またドイツの新型貨客船3隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ、ポツダム)に対抗しつつ1940年(昭和15年)開催予定の東京オリンピックを見込んで、日本郵船が建造した豪華客船「新田丸」級三姉妹船の第3船であった〔#日本空母物語105、298頁〕。新田丸級三姉妹船(新田丸、八幡丸、春日丸)は、日本郵船を象徴する客船であり、日本郵船株式会社のイニシャル“NYK”に因んでそれぞれNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruと命名されている。建造費用は優秀船舶建造助成施設による補助を受けていた。また3隻とも三菱長崎造船所で建造され、新田丸、八幡丸、春日丸の順番で建造された。新田丸、八幡丸は短期間ながら客船として活動した。春日丸は客船として就役することなく最初から空母として竣工したため、本型は最初に完成した春日丸をネームシップとして『春日丸級特設航空母艦』と呼称されている〔#内令昭和16年4月(5)pp.39-40『内令第四百四十號 特設艦船部隊特修兵配置表中左ノ通改正ス|昭和十六年四月二十六日 海軍大臣 及川古志郎|特設航空母艦ノ欄ヲ左ノ如ク改ム |特設航空母艦||飛鷹、隼鷹|春日丸級|(略)』〕。 第二船八幡丸は新田丸から4か月遅れた1940年(昭和15年)7月31日に竣工〔#日本空母物語310頁『(3)雲鷹(旧八幡丸)と沖鷹(旧新田丸)』〕。シアトル航路で一航海ののちサンフランシスコ航路に就航した。1941年(昭和16年)6月15日、呉海軍工廠で空母への改造工事に着手した。予想される日米の艦隊決戦に際して、大鷹型航空母艦(春日丸級航空母艦)は艦隊用補助空母としての役割を期待されていた〔#日本空母物語299頁〕。しかし本型は小型で速度も遅く、さらに日本海軍が終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかった事は、運用に大きな制約をあたえた〔#日本空母物語312頁『(4)わが商船改造空母の問題点』〕。空母用カタパルトを装備した連合国軍の軽空母や護衛空母と比較して、本型の航空機運用能力は非常に見劣りするものとなり、本格的な海戦に投入される事は一度もなかった〔。 1941年(昭和16年)11月25日、特設航空母艦八幡丸として呉鎮守府所管となった〔#内令昭和16年11月(5)p.26『内令第千五百三十六號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラル|昭和十六年十一月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』〕。日本海軍は同日附で、水上機母艦(甲標的母艦)日進艤装員長駒澤克己大佐を八幡丸艤装員長に任命した。 12月10日、八幡丸艤装員長は駒澤(日進艤装員長)から湊慶譲 大佐に交代する。 1942年(昭和17年)5月10日、井上良雄中佐(5月5日まで駆逐艦萩風艦長)は八幡丸副長に任命される。 5月31日に改造完成〔〔#木俣空母345-347頁『雲鷹の行動(七~十月)』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲鷹 (空母)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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