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零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は、第二次世界大戦期における日本海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。試作名称は十二試艦上戦闘機。連合軍側のコードネームは『ZEKE(ジーク)』。 支那事変(日中戦争)から太平洋戦争初期にかけて、2,200 kmに達する長大な航続距離・20mm機関砲2門の重武装・優れた格闘性能を生かして、米英の戦闘機に対し優勢に戦い、米英のパイロットからも「ゼロファイター」と呼ばれた。太平洋戦争中期以降には、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立やF4UコルセアやF6Fヘルキャットなど新鋭戦闘機の大量投入で劣勢となったが、後継機の開発の遅れによって、終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機として運用された。また、用途も拡大して、戦闘爆撃機や特攻機としても使われた。 開発元は三菱重工業(以下「三菱」という)。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。生産数は日本の戦闘機では最多の約10,000機〔河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社38頁〕。 ''各型の零戦の詳細については、「零式艦上戦闘機の派生型」を参照''。 == 特徴 == === 名称 === 当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。零戦の「零式」との名称は、制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であるためである〔堀越二郎『零戦』光人社1970 148頁〕〔なお日本陸軍(以下、陸軍)では同じ年に採用した兵器を一〇〇式と命名している(例:一〇〇式司令部偵察機、一〇〇式重爆撃機、一〇〇式輸送機)。〕。 「零戦」と略され「れいせん」「ぜろせん」と呼ばれる。一部に「(戦時中、英語は敵性語として使用を制限されていたから、)『零戦』を『ぜろせん』と読むのは誤り」という主張もある。その他、“ゼロファイター”の和訳が戦後一般化したという根拠が不明瞭な説もある。しかし、戦時中の1944年(昭和19年)11月23日付の朝日新聞で初めて零戦の存在が公開された際も「荒鷲などからは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されている。 当初、発動機の換装は一号、二号、機体の改修は一型、二型と表されていたが、1942年夏に連続した二桁の数字(最初の桁が機体の改修回数、次の桁が発動機の換装回数を示す)で示すように変更されたため、既存の一号一型/一号二型は一一型/二一型と改称、二号零戦/二号零戦改と仮称されていた新型零戦は三二型/二二型と命名された。後に武装の変更を示す甲乙丙を付与する規定が追加されている。またこの派生型式名はそれぞれ「いちいちがた」「にーいちがた」「さんにーがた」「にーにがた」「ごーにがた」のように各桁を独立した数字として読む。「にじゅういちがた」「ごじゅうにがた」のように二桁の「数」とする誤読が散見されるが、前述のとおりそれぞれの桁の数字は異なる意味が持たせられており、単なる連続した二桁の「数」ではない。漢数字表記の慣用からも「にじゅういち」と読む場合には「二十一」と表記するのが通例である。また最近は「にいちがた」「ごにがた」のような読み方も見受けられるが、一般には読みやすさのために音引きを挿入して読まれる。 連合軍が零戦に付けたコードネームはZeke(ジーク)。だが米軍側の将兵もZero(ゼロ)と呼ぶことが多かった。ただし三二型は出現当初、それまでの二一型とは異なり翼端が角張っていたためか別機種と判断され、Hamp(当初はHap)というコードネームがつけられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「零式艦上戦闘機」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mitsubishi A6M Zero 」があります。 スポンサード リンク
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