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雷神山古墳(らいじんやまこふん)は、宮城県名取市植松にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。 東北地方では最大の規模で〔東北地方で雷神山古墳(墳丘長168メートル)に次ぐ古墳のうち主な5基は次の通り。 * 亀ヶ森古墳(福島県河沼郡会津坂下町) - 墳丘長127.3メートル。 * 玉山古墳(福島県いわき市) - 墳丘長110メートルから120メートル程度。 * 会津大塚山古墳(福島県会津若松市) - 墳丘長114メートル。 * 遠見塚古墳(宮城県仙台市) - 墳丘長110メートル。 * 稲荷森古墳(山形県南陽市) - 墳丘長96メートル。〕、4世紀末から5世紀前半(古墳時代前期後半から中期前半)の築造と推定される。仙台平野一帯を支配した広域首長の墓とされる。 本項では、雷神山古墳に隣接する小塚古墳についても併せて解説する。 == 概要 == 名取平野の西縁には南北に高舘丘陵が延び、南の福島県浜通りから続く海岸平野の西縁に連なる丘陵群の一部をなすが、この高舘丘陵から東方の名取平野に突き出した舌状丘陵の愛島丘陵東端、平野を一望する位置において、前方部を南西に向けて築造された前方後円墳である。後円部墳頂には雷神を祀る祠があり、「雷神山」の古墳名はこれに由来する〔。 墳丘の大部分は、自然丘を削り出して、その削り出された土を盛土として使用して築造されている。墳丘長は168メートルで、東北地方では最大であり、東北地方の第2位以下が120メートル以下であるのに比して突出する規模になる〔〔。また古墳が築造された古墳時代前期では、東日本で見ても最大級の規模になる〔雷神山古墳 (名取市ホームページ)。〕。墳丘は前方部が2段築成、後円部が3段築成。前方部が丘陵上に築造されているため前方部が発達した古墳となるが、前方部の一部は後世の開墾により削平を受け、現在も一部が墓地化している。墳丘は葺石を伴い、周囲には周堤と周濠を有する。周堤と周濠を含む古墳の領域は、南北約210メートル、東西約140メートルにも及ぶ。埴輪は全て壺形埴輪であり、各段の裾周りに巡らされたと推定されている。 埋葬施設は未調査(未発掘)のため明らかでない。2011年(平成23年)の東日本大震災に際して後円部墳頂に部分的な陥没が生じたことから、竪穴墓壙における粘土槨または木棺直葬と推測する説がある〔辻秀人 「雷神山古墳と東北の政権」『歴史読本 2015年1月号』 KADOKAWA、2014年、pp. 52-55。〕。 この雷神山古墳は、発掘調査により出土した壺形埴輪や底部穿孔壺型土器などの分析結果や、古墳の築造方法などから、およそ4世紀末から5世紀前半の築造と推定される〔底部穿孔形土器と小型器台は4世紀代の東北地方の方形周溝墓で祭祀の際に使用された古式土師器であり、本古墳の年代を大幅に溯らせるものもある(進藤(1991) 31ページ)。〕。仙台平野・名取平野全域では突出する規模であり、被葬者はこれらの地域を支配した広域首長墓と見られる。雷神山古墳の北方では、雷神山古墳以前に名取平野を抑えた古墳時代前期の首長墓群として、前方後方墳からなる飯野坂古墳群の築造が知られる〔。それら古墳群に次ぐ世代の首長が墳形を前方後方形から前方後円形に変え、さらに飯野坂古墳群とは異なる位置に築造したのが、この雷神山古墳に相当する〔。仙台平野では雷神山古墳に次ぐ大規模古墳として同時期に遠見塚古墳(宮城県仙台市)の築造も知られるが、両古墳は仙台平野から大崎平野にも及ぶ支配を物語るものとして注目されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雷神山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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