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電通銀座ビル : ミニ英和和英辞書
電通銀座ビル[でんつうぎんざびる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 
: [ぎん, しろがね]
 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
銀座 : [ぎんざ]
 【名詞】 1. (1) Ginza (shopping district in Tokyo) 2. (2) (Edo period) silver mint 
: [ざ]
  1. (n,n-suf) seat 2. one's place 3. position 
ビル : [びる]
 【名詞】 1. (abbr) building 2. bill 3. (P), (n) (abbr) building/bill

電通銀座ビル : ウィキペディア日本語版
電通銀座ビル[でんつうぎんざびる]

電通銀座ビル(でんつうぎんざビル)は、東京都中央区銀座七丁目にある建築物である。銀座電通ビルとも表記される〔『電通66年』p359〕。外堀通り交詢社通りが交わる銀座西六丁目交差点の南角に1933年昭和8年)に竣工し、1967年まで大手広告代理店電通が本社を置いていた。現在でも電通のグループ企業や広告関連団体が入居している。
== 歴史 ==
1901年明治34年)7月1日に、光永星郎により、東京市京橋区弥左衛門町(現在の銀座4丁目)にて日本広告株式会社設立〔『電通66年』p79〕、同年12月に通信社の電報通信社を併設した〔『電通66年』p81〕。銀座並木通り沿いで、当時は主要な新聞社が集まる一角であった。翌1902年には、京橋区南佐柄木町(現在の銀座6丁目)に社屋を移した。1909年、光永は株式会社日本電報通信社を設立。1910年に電報通信社を買収、1911年に日本広告を対等合併した。日本電報通信社は1911年に京橋区滝山町(現在の銀座6丁目)に、南佐柄木町社屋の3倍の床面積の西洋風2階建の社屋を建設したが〔『電通66年』p89-90〕、これも手狭になり、1911年に京橋区加賀町(現在の銀座7丁目)に3階建の新社屋を建設した〔『電通66年』p81〕。1923年大正12年)、関東大震災発生。倒壊は免れたものの類焼により社屋を焼失し、帝国ホテル内に仮事務所を置いたのち丸の内仲通りに移転した。1930年、震災復興事業完了。その後加賀町の社屋の跡地に、1932年より電通銀座ビルの建設に着手、1933年に竣工した〔。1962年、中央区築地に新本社ビル(のちの 電通テック本社ビル)が完成。創立記念日に当たる7月1日に本社機能は新ビルに移転した。移転当日の朝には、銀座へのお礼と築地への挨拶の意味を込め、社長以下社員有志1200名あまりが電通銀座ビルから築地の新社屋に行進した〔『電通66年』p342-344〕。1988年には本ビル内に電通プロモーションギャラリーを開設したが、その役割は2002年汐留電通本社ビル内にオープンしたアド・ミュージアム東京に受け継がれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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