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霊屋橋(おたまやはし)は、名取川の支流広瀬川にかかる橋で、市道霊屋下米ヶ袋線を通す。宮城県仙台市青葉区の霊屋下(おたまやした)と米ヶ袋(こめがふくろ)を結ぶ。長さ60.6メートル、幅10.1メートル。 白い和風の装飾のコンクリート橋である。このあたりの広瀬川は北から南に流れ、幅が狭いが、かわりに底が広瀬川の中でもっとも深く、源兵衛淵という。東の岸は垂直の崖、西が砂岸である。 霊屋橋のそばにある瑞鳳殿は、仙台市の観光地の1つであるが、道路事情はあまりよくない。市の中心部からは、広瀬川を越えたところにあるため、評定河原橋か霊屋橋のどちらかを通らなければならないが、どちらの橋も接続する2車線の道が細い。 == 歴史 == 「おたまや」は本来は御霊屋だが〔『仙台鹿の子』、1953年刊『仙台市史』第8巻(資料篇1)216頁。『残月台本荒萩』巻之三、『仙台叢書』第1巻289頁。〕、読みはそのままで御の字が脱落して定着した。ここでは伊達家代々の霊廟がある瑞鳳殿のことをいう〔菊地勝之助『修正増補仙台地名考』80頁。〕。 明治初年に丸太の柱の列の上に板を渡した橋が作られ、「米ヶ袋渡し」、またその料金から「三文渡し」と呼ばれた。1909年(明治42年)、約100メートル川下に長さ約100メートルで木製の越路橋が架けられたが、翌年流された〔『仙台市史』続編第1巻410頁。三原良吉『広瀬川の歴史と伝説』64頁。関根一郎『仙台・川と橋の物語』64頁には「明治41年に架けられた」とある。〕。 1915年(大正4年)8月に霊屋橋と名を改めた〔関根一郎『仙台・川と橋の物語』65頁。〕。1916年(大正5年)に木の吊り橋がかけられた。1935年(昭和10年)に現在あるコンクリート製の橋に架け替えられた。長さ65.2メートル、幅8.3メートルあった。現在は長さ60.6メートル、幅10.1メートルとされている〔65.2メートルなどは『仙台市史』続編第1巻410頁。その後の工事によると思われるが詳細不明。〕。 image:OtamayaHashi2003-11.jpg|西岸、南から(2003年11月) Image:OtamayaHashi2007.jpg|東岸から霊屋下を望む(2007年9月) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「霊屋橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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