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霍弋 : ウィキペディア日本語版
霍弋[かく よく]
霍 弋(かく よく、生没年不詳)は、中国三国時代から西晋にかけての武将。蜀漢・西晋に仕えた。紹先荊州南郡枝江県の人。父は霍峻。伯父は霍篤。子の名は不詳。孫は霍彪。
== 生涯 ==

父と同様、劉備に仕えた。劉備が没する直前に太子舎人に任命され、劉禅が後を継ぐと謁者に登用された。諸葛亮にその才能を認められ、若い頃は諸葛亮の養子であった諸葛喬と共に、見聞を広めるため旅をした。
諸葛亮の死後に黄門侍郎となり、皇太子であった劉璿の太子中庶子(補佐役)にもなった。劉璿が、騎馬・射術を好み政務を省みなかったため、言葉を尽くしてこれを諌めた。
その後、永昌郡の獠族が要害に拠り反乱を起こすと、霍弋は永昌太守となり一軍を率いて討伐に向かった。首謀者を斬り殺し無事反乱を鎮圧すると、功績として監軍・翊軍将軍・建寧太守となり、益州南部の軍政を統括した。
263年、安寧将軍となった。この年、が蜀征伐のため大規模な軍を起こすと、霍弋は成都に駆けつけようとした。しかし劉禅は、既に備えは十分だとしてそれを許可しなかった。その後、蜀が滅亡したことを知ると、霍弋は喪服を着て哭礼を行ない、三日間の喪に服した。諸将が皆、早く魏に帰順すべきだと述べたが、霍弋は劉禅の安否が分かるまで決して動こうとはしなかった。劉禅の降伏が容れられ東に移ったと聞くと、南中6郡の太守・大将を率いて魏に降伏した。
降伏後は、司馬昭にもその才能を認められ信任を受けた。264年交州で魏・の間に緊張が起きた時、南中都督に任じられ南蛮の地の平定に尽力した。また交州の交趾・九真・日南の3郡をも平定して、列侯に封じられた。
孫は後に越嶲太守となったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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