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霧山城(きりやまじょう)または多気城(たげじょう)は、伊勢国一志郡多気(現在の三重県津市美杉町上多気および美杉町下多気〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):418ページ〕)にかつて存在した日本の城。城跡は国の史跡に指定されている(史跡「多気北畠氏城館跡」のうち)〔文化庁"国指定文化財等データベース:主情報詳細/多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡 "(2012年9月6日閲覧。)〕。 伊勢国司から戦国大名となった北畠氏の本拠地であり〔、16,000騎を有する大将にふさわしい城郭であった〔美杉村史編集委員会(1981):213ページ〕。 == 概要 == 多気は伊勢国と大和国を結ぶ伊勢本街道沿いにある交通の要所であると同時に、7つの経路のどれをとっても峠越えとなる天然の要害であった〔。城郭本体だけでなく、麓の城下町まで含めて、大要塞を成していたとも解釈できる〔村田 編(1987):253ページ〕。城下には3,500戸ほどが建ち並び、700人から1,000人の家臣が暮らしていた〔美杉村史編集委員会(1981):214, 259 - 260ページ〕多気から南西へ16里行けば南朝の拠点である吉野へ、南東へ12里行けば伊勢神宮へ至ることから、どちらで非常事態が発生しても1日で駆け付けることができた〔。南朝へ米や海産物を運び込む上でも好都合であった〔みえ歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会(2002):70ページ〕。また北朝の都・京都に比較的近いことも利点の1つであった〔。 城の名前は『三国地誌』・『勢陽五鈴遺響』では霧山城と多気城の両方が用いられている〔。北畠氏の本拠であり、240年に渡り難攻不落の城としてそびえたっていたが、織田信長勢に攻められて落城した〔みえ歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会(2002):70 - 72ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「霧山城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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