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霧島温泉郷 : ミニ英和和英辞書
霧島温泉郷[きりしまおんせんきょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きり]
 【名詞】1. fog 2. mist
: [しま]
 【名詞】 1. island 
温泉 : [おんせん]
 【名詞】 1. spa 2. hot spring 3. onsen 
温泉郷 : [おんせんきょう]
 【名詞】 1. hot-spring village 2. spa

霧島温泉郷 : ウィキペディア日本語版
霧島温泉郷[きりしまおんせんきょう]

霧島温泉郷(きりしまおんせんきょう)は、鹿児島県霧島市から湧水町にかけての霧島山中腹に点在する温泉群の総称。狭義では大浪池の南西斜面、中津川(天降川の支流)流域にある古くから知られている温泉群を指す。1959年昭和34年)5月4日、「霧島温泉」として、旧・霧島町の霧島神宮温泉とともに国民保養温泉地に指定された。
==狭義の霧島温泉郷==
;硫黄谷温泉
:1714年(正徳4年)、飯田喜八によって発見された。江戸時代に書かれた温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「薩摩硫黄湯」として記載されており、皮膚病に効能があるとされていた。江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』にも挿絵とともに紹介されており、湯を患部に当てる打たせ湯や、身分の高い者だけが利用できる殿様湯についての記述もある。1866年(慶応2年)に坂本龍馬夫妻が訪れた。1949年(昭和24年)8月16日、台風による山崩れの被害を受けて移転し、現在では泉源のみ利用され近隣の霧島ホテルに送湯している。
;明礬温泉
:明礬山から湧出しているためにこの名が付けられた。1869年(明治2年)頃に宿泊施設が設けられたが、山崩れのため廃止され泉源のみ利用されている。
;栄之尾温泉
:1744年(延享元年)、安藤仲兵衛国広によって発見された。『三国名勝図会』には、硫黄谷温泉と同じく打たせ湯の設備を持っており効能も似ているが、湯の性質は穏やかであり症状に応じて選ぶことを勧める記述がある。1861年(文久元年)、当時の薩摩藩藩主島津忠義の避暑地として利用された。1866年には坂本龍馬お龍夫妻が訪れ、これが日本最初の新婚旅行とされている。渓谷に湧く温泉は現在、林田温泉にあるホテルの露天風呂「緑渓湯苑」として利用されている。なお標高800mの山中にある寒冷地であるため、冬季は閉鎖される。
;林田温泉
:標高800メートル、栄之尾温泉に隣接する温泉地。1929年(昭和4年)、林田産業交通(現在のいわさきバスネットワーク)の創始者林田熊一によって開発された。私設道路などが整備され近代的温泉保養地の先駆けとなった。(現在の霧島いわさきホテル)
;丸尾温泉
:1819年(文政2年)、横尾権太によって発見された。霧島温泉郷の中心的存在となっている。
;栗川温泉
:1835年(天保6年)、牧彦八によって発見された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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