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青井家(あおいけ)は熊本県人吉市鎮座の青井阿蘇神社の社家。本姓大神氏(おおがし)を称するので大神青井氏とも呼ばれる。 == 家歴 == 青井阿蘇神社は大同元年(806年)に肥後国阿蘇郡の阿蘇神社の神主尾方惟基(大神惟基)が阿蘇神社の分霊を球磨郡青井郷へ分祀したものと伝えるが、その惟基を家祖とする。代々青井阿蘇神社の大宮司職を襲い、その起源は同神社創祀の翌大同2年9月13日に惟基が同神社の大宮司に補任された事に因るという〔『麻郡神社記』。〕。 延文年中(14世紀中半)に第27代前清が球磨郡の領主藤原定頼の5男頼範を女婿に迎えて家を継がせ〔相良氏の系図では頼範は定頼の孫とされている。〕、永禄10年(1567年)に第46代惟元が神祇管領長上吉田家へ入門、慶長2年(1597年)に青井阿蘇神社が球磨郡内全神社の総社と定められてからは近世を通じて人吉藩内の神職の元締めともされた。 第47代の惟延が慶長15年に吉田家の神道伝授を受けて初めて同家から官位を授けられ、第50代惟治も明暦4年(1658年)に上洛して吉田兼連から神道の秘法と正六位下信濃守を受領、以降代々正六位下を受領する例となった。また惟治は寛文5年(1665年)にも上洛して吉田家から唯一神道の大護摩と諸加持行法等の奥義を授かったが、帰国の後にそれまで仏像であった青井阿蘇神社の神体を改替する等、両部習合であった同神社を唯一神道へと改めた。 大正14年(1925年)に第60代の淑人が歿する事で断絶した〔上米良『熊本県神社誌』。〕。 なお氏名(うじな)は、相良長毎が文禄元年(1592年)に朝鮮へ出兵(文禄の役)するに際して惟延(47代)が長毎の武運長久の祈祷を行った縁で長毎から犬童の家名を授かって改姓したが、次の範重の代の寛永18年(1641年)、藩主頼寛の命により旧に復している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青井家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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