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青地清二 : ミニ英和和英辞書
青地清二[あおち せいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青地 : [あおじ]
 (n) blue cloth or ground
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [に]
  1. (num) two 

青地清二 : ウィキペディア日本語版
青地清二[あおち せいじ]

青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 2008年8月14日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。
== 経歴・人物 ==
1942年6月21日北海道小樽市出身。
小樽緑陵高校(現・小樽商業高校)から明治大学を経て雪印乳業(現・雪印メグミルク)に所属。
1967年全日本スキー選手権大会ジャンプ90m級で優勝。
1970年3月には宮の森ジャンプ競技場の当時のバッケンレコード85.5mを記録している。
1968年グルノーブルオリンピックで五輪初出場。90m級で26位に終わる。(4年後の札幌オリンピックの開催が決まっていた日本は、この大会に過去最高の62選手を送り込んだが、メダルはおろか6位入賞すら果たせなかった。)
1972年札幌オリンピックで2度目の五輪出場を果たし、70m級で銅メダルを獲得。金メダル笠谷幸生銀メダル金野昭次と共に日本人3人で表彰台を独占し「日の丸飛行隊」と呼ばれた。
この時の2本目のジャンプは、空中でバランスを崩しかけた完全な失敗ジャンプであったが、そこから立て直し、驚異的な粘りを見せて77.5mまで飛距離を伸ばし、関係者を驚嘆させた。
このジャンプについて笠谷幸生が「青地さん以外ならみんな墜落していた」と評している。
現役引退後は雪印の社業に専念し、スキー界から離れたものの、選手OBとしてジャンプ界を応援し続けていた。また、原田雅彦が入社した際にも、原田が配属されたアイスクリーム課の課長として、原田に社会人としての心構えを教えたのも青地であった。
2008年8月14日10時26分、胃癌の為、札幌市内の病院で死去。 。晩年はガンとの闘病が続いていたものの、退院後にジャンプについての本を書き、売り上げを青少年ジャンパーのための基金にする構想を描いていたが、志半ばでの逝去であった〔(北海道新聞2008年8月20日朝刊 伊藤龍治「追悼 青地清二さん 天国へ美しく"ジャンプ"」より)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青地清二」の詳細全文を読む




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