|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 青 : [あお] (n) 1. blue 2. green 3. green light ・ 青地 : [あおじ] (n) blue cloth or ground ・ 地 : [ち] 1. (n,n-suf) earth ・ 礼 : [れい] 【名詞】 1. expression of gratitude ・ 幹 : [みき] 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base
青地 礼幹(あおち のりもと、延宝3年(1675年)- 延享元年4月25日(1744年6月5日))は、江戸時代中期の加賀藩士、儒学者。通称は藤太夫、字は貞叔、号は浚新斎、麗沢。 == 概要 == 父の定政は、家老本多家の一族から青地家に養子入りした。米沢藩家老直江兼続の弟、大国実頼の曽孫でもある。 兄の青地斉賢(兼山)と共に、室鳩巣を師とする。藩主前田綱紀、吉徳に仕え、新番頭、小姓組頭などを勤めた。加賀騒動に先立って、寛保2年(1742年)、家老本多政昌宛に大槻伝蔵の弾劾文を送ったことでも知られる。 著作には『浚新文集』『可観小説』など。鳩巣との書簡を兄と共に編纂した、『兼山秘策(兼山麗沢秘策)』が特に知られる。師から木下順庵、新井白石の書簡も譲り受け、これらも編纂している。 随筆集『可観小説』は、自身の血縁との関わりから上杉家に関する逸話も多く、前田・上杉両家に関わるものとして、前田慶次についても記述されている。 また同書には、竹島一件についての伝聞書「日本の竹島、朝鮮へ奪はるゝ事」という一節がある。正徳元年(1711年)の京都滞在中に、相国寺慈照院主だった別宗祖縁からの伝聞である。同僧は事件当時、対馬以酊庵の輪番で対朝鮮外交に携わり、この一件の事情にもよく通じていた。対馬では武士、平民から僧侶までも、将軍綱吉の失態と憤ったという。文中での「竹島」とは、朝鮮のいうところの欝梁島(原文ママ)である、と明記されている。現在の竹島に相当する島嶼については一言も無い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青地礼幹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|