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青山 幸成(あおやま よしなり/ゆきなり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。遠江掛川藩主、摂津尼崎藩の初代藩主。郡上藩青山家初代。 == 経歴 == 天正14年(1586年)、徳川氏の譜代家臣・青山忠成の四男として浜松で生まれる。慶長4年(1599年)に元服して徳川秀忠の近侍として仕えた。慶長7年(1602年)、下総国印旛郡で500石を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣にも参加し、元和5年(1619年)には書院番頭・小姓・10人組頭・評定衆に任じられ、常陸国新治郡・筑波郡などで1万石を与えられ、以前からあった所領とあわせて1万3000石の大名となった。 寛永10年(1633年)2月3日、遠江掛川藩に2万6000石に倍増された上で移封される。寛永12年(1635年)7月28日には5万石に加増された上で摂津尼崎藩に移封された。幸成は藩政の基礎を確立するため、儒者を招聘して文学を奨励し、大庄屋制度を制定し、積極的な新田開発を行なって4000石を新開発した。寛永17年(1640年)には讃岐高松藩主・生駒高俊改易を伝える使者を務め、その後の寛永19年(1642年)4月の松平頼重の高松藩入封にも協力している。 しかし直後の8月から病に倒れた。寛永20年(1643年)1月には第3代将軍・徳川家光の見舞いを受けたが回復せず、次男の幸通、三男の幸正、四男の幸高にそれぞれ3000石、2000石、1000石を分与して青山3分家を創設した上で、2月16日に死去した。享年59。家督は長男の幸利が継ぎ、所領は弟に分与したため4万8000石となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青山幸成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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