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青山汰詩(あおやま たいし)は沖縄県立芸術大学音楽学部音楽学科声楽専攻卒の東京で活動中のシンガーソングライター。 1999年「沖縄県エイズイメージコンテスト」でグランプリを受賞したのをきっかけに活動を開始(その当時は「津覇ちかてる」の名前で活動していた) == 出演番組 == 沖縄時代は「津覇ちかてる」という名前で活動していた。 本名が「津覇親明(つはちかてる)」の為、読みやすいように名前だけ平仮名にしていたようだ。 1999年沖縄県エイズイメージソングコンテストにてグランプリを受賞。 それをきっかけにグランプリ曲「遠い明日」(とおいあした)にて2000年3月21日デビュー。 ちなみにデビュー前は普天間かおりのバックバンドにてピアノ担当をしたり、沖縄県内のオペラ公演に出演していた。 デビュー後はコンテスト受賞の関連で沖縄県内の学校講演会や2000年度は名桜大学学園祭にてライブを行なう。 その他沖縄県内のTV(琉球放送「情報コンビニ龍の髭」)、ラジオ(多喜ひろみ「ハッピーアイランド」(沖縄では知らない人がいない位有名な長寿ラジオ番組。初めてのメディア出演がこの番組になった)岩井証夫「チャットステーション」他)等に数多く出演を果たす。 200年10月には沖縄県立武道館にて沖縄県主催のライブをmawariと共に行なう。 その精力的な活動もあってか年末には、2000年FM沖縄年間リクエストチャート50にて年間46位を獲得する。 (ちなみに47位はMr.Children「口笛」、45位はDA PUMP「If」であった。それを見ても良く流れた曲だったといえよう) 当の本人は2000年末に東京に拠点を移していた為その結果を友人からの電話によって知ったと後のライブにて告白。 2000年末には東京に活動拠点を移行し、既に今後の活動準備に備えていたようである。 以後東京にての活動 2003年8月、東京駅「Break stition Live」オーディション合格により以後2年間、東京駅構内ステージにて約2ヶ月に1回のライブを行なう。 このライブの他の出演者は、川村結花、アルケミスト、メヲコラソン、naivy&ivory、MITO【現 ミトカツユキ】とプロアマ問わず歌を聴かせる実力派揃いも多く、そのかいもあってか毎回かなり内容の濃いライブを展開していた。 2004年「亀戸さんストリートライブ」出演。 2004年11月東京四谷天窓comfort.にてイベント「男のピアノ」にて東京にて初めてのライブハウス出演を果たす。 本人の意向により、初出演から現在迄、四谷天窓(現在は高田馬場に移転したが名称は「高田馬場 四谷天窓」となっている)に定期的に出演を果たしている。 本人曰く「ピアノと歌を中心とした弾き語り系アコースティック系の音楽を1番表現出来る場所だから」と1番お気に入りの場所とライブの際には話しており、勿論、これまでの東京でのライブにおいて1番行なわれている回数も多い場所でもある。 TV、ラジオ出演等 *熱唱オンエアバトル(2005年~2006年)※全出演回全てOAされるという快挙を持つ。その後チャンピオン大会にも出場(これは全出演ソロアーティスト中、青山汰詩、藤田大吾(現・aluto)、山田和明の3人のみの記録であり、その中でも青山と藤田はレギュラー放送出演時の順位(キロバトル)においても毎回3位以内を獲得し、高キロバトルでOAされるという記録を持っている) *ライオンの穴(2006年、MTV) *ガリンペイロ(2007年、MXTV) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青山汰詩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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