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青山 穣(あおやま ゆたか、1965年1月30日 - )は、日本の声優、俳優。九プロダクションより移籍し、現在の所属事務所はケンユウオフィス。 愛知県生まれ。日本大学芸術学部卒業。東北新社映像テクノアカデミア出身。身長174cm。 == 来歴 == 小学生の頃に『がんばれ!ベアーズ』などの洋画を見始めてから、映画に興味を持ち、小学生ながら、1回が朝の10時から夕方の6時や7時頃まで、1日中映画館にこもりっきりで、同じ映画を何回も何回も見直していた〔卒業生インタビュー 青山穣 〕。 中学生で、映画研究会のサークルに入ろうと思い進学したが、中学校には映画研究会がなかったため、ベアーズの団体行動に憧れて演劇部に入部した。しかし演劇部は女子部員が40人程で、男子部員は青山のみであった。芝居をすること自体は最高に楽しかったが、男が一人だけという疎外感を意識していた。高校に入ったら、今度こそ映画研究会にと、密かに考えていたという〔。 高校は男子高校に進学したが、映画研究会がなかったため演劇部に入部。このことで役者を目指す大きなきっかけになったが、進学した高校の演劇部は過激な訓練で、この頃には芝居の魅力に完全に取り付かれていたとインタビューで語っている。高校演劇は高校野球の甲子園より難しく、青山が所属していた高校は愛知県で中部地区に属しており、その中部6県、愛知県、岐阜県、三重県、福井県、石川県、富山県の中から1校だけしか全国大会に出られない。甲子園より狭き門で、青山は出場権を獲得できた〔。 大学に進学し、基本の理論も含めて、演劇にまつわる全てを学んでみたいと考え、完全に役者の道を目指そうと考えた。演劇青年として、芝居にどっぷり漬かった毎日を過ごし、大学卒業後はロンドンに留学し、2〜3年程在住していた。当時、演技訓練は個人レッスンを受けて芝居見学がほとんどだったが、「イギリスばかりを見て、あのパターンが理想だと考え過ぎてしまい、日本人に出来る芝居、日本人に合う芝居、それがどのようなものか想像ができなかったのか、精神的引きこもりだった」と語っている〔。 留学後、ヨーロッパ演劇を学んだため、今度は日本の古典劇もちゃんと勉強しなければいけないと思い、学生時代から歌舞伎座で、アルバイトをしていた仕事を行いながら、同時に小劇場を主宰をしていた。その仕事以外にも、役者として、ほかの劇団の舞台の客演には星の数ほど出演〔。 歌舞伎座でのアルバイトをしている時、とある人から「青山は声に特徴があるから、声優に向いているかも」と勧められ、映像テクノアカデミアに入学する〔。卒業後、とあるシリーズの主役に抜擢される〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青山穣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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