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青山脳病院(あおやまのうびょういん)は、かつて東京・青山にあった精神病院(当時の呼称で「脳病院」)である。1907年(明治40年)に開院すると「ローマ式建築」の威容が地元の名物となり、また、昭和時代には医師で歌人の斎藤茂吉が院長を務めていたことでも知られる。 ==歴史== ===開院=== 1907年(明治40年)9月、それまで東京・浅草と同・神田で診療していた医師・斎藤紀一によって、東京市赤坂区青山南町五丁目(現在の港区南青山4丁目)に開設された。 病院の建物は「ローマ式建築」と称され、前面には円柱が並び、屋根には複数の尖塔がそびえ、正面玄関の上には時計塔が備わっていた。また、本館の外壁、塀から浴場に至るまで、すべて赤レンガが使用されていたという〔斎藤茂太 「赤いレンガ」 『医学芸術』 昭和57年10月号 斎藤茂吉生誕百年 坪井医院(千代田区神田和泉町1)のウェブサイトへの転載、平成23年11月3日閲覧〕。当時は野原であった場所に完成したこの建物の威容によって、病院は一躍青山の名所となった〔青山脳病院 『表参道が燃えた日』 「表参道が燃えた日」編集委員会 2008年2月15日発行〕。 病院の敷地面積は、約4,500坪であった〔『青山脳病院一覧』 明治43年発行〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青山脳病院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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