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青嶋 達也(あおしま たつや、1965年8月12日 - )は、フジテレビアナウンサー。アナウンス室副部長。 == 来歴・人物 == 静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後の1988年にフジテレビ入社。入社同期には女子アナブームの全盛期を飾った「花の三人娘」と呼ばれる有賀さつき、河野景子、八木亜希子の3人の女子アナ、元報道記者で政治家の三宅雪子、笹栗実根がいる。 『セリエAダイジェスト』『サッカー小僧』などのサッカー番組では「マルカトーレ青嶋」と呼ばれることが多いほか、『酔いどれない競馬』など一部の競馬番組では「Aアナ(えーあな)」の呼称が定着している。 語学が堪能で『サッカー小僧』の「青島が見送る」のコーナーでは海外のスター選手の来日、帰国を見届ける時、英語に限らずフランス語、イタリア語で会話していた。 過去には、スポーツ実況からバラエティー番組のナレーションなど幅広いジャンルの番組を担当。平日夜の報道番組『FNN NEWSCOM』ではサブキャスターを務め、1996年10月から1年半は土曜日の情報番組『THE WEEK』のメインキャスター(4代目)も担当した。 2000年代以降は、主にサッカー・競馬番組を担当しているほか、ニュースや各種番組ナレーション(『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』など)、一部バラエティー番組のスペシャル放送を担当。2006年のドイツW杯では決勝の実況を務める(地上波民放テレビ局では東京12チャンネル時代の金子勝彦に次いで2人目)。2011年のFIFA女子ワールドカップでも決勝の実況を務め、日本(なでしこJAPAN)の初優勝を伝えた。UEFAチャンピオンズリーグやヤマザキナビスコカップでも決勝戦の実況を担当している。 自転車のロードレースとの関わりも深く、フジテレビがツール・ド・フランスの放映権を獲得した1992年から2004年まで、ツール・ド・フランスの実況を担当していた。そのため、当時は毎年7月になると『J SPORTS』(かつてはフジテレビも出資していた)の生中継に出ずっぱり状態になるのが通例だった。その後も2006年・2007年のジャパンカップサイクルロードレースで場内実況やレース後のインタビューを担当するなど、自転車競技との関係は続いている。 その他、1996年フジテレビ系列で放送されたアニメ『みどりのマキバオー』のオープニングテーマ『走れマキバオー』を担当。同僚の三宅正治、福井謙二両アナとの音楽ユニット「F・MAP」として参加し、青嶋は間奏でのコント・イントロ&間奏でのレース実況音声を担当した。 2003年に放送された『実況格闘』(出場アナウンサーが課題VTRに対しアドリブで実況を行いその優劣を競う特番)では志生野温夫・神田康秋・煙山光紀らといった他のアナウンサーを下して優勝しているほか、『FNSアナウンス大賞』では2002年・2007年にスポーツ部門の部門賞を受賞するなど過去に多くの受賞歴がある。 父親の青嶋守隆は元オートレース選手。 夫人は元IBC岩手放送アナウンサーの小長谷悠紀。 タレントの大澄賢也、ジャズボーカリストの鈴木重子は浜松北高の同級生である。 2011年3月12日午前に東日本大震災関連の特番でキャスターを務め、木村太郎と久々に共演をした(『FNN NEWSCOM』終了以来、17年ぶり)。 2012年以降、三宅正治が『めざましテレビ』メインキャスターに就任したことに伴いスポーツ実況から引退したこと、塩原恒夫が有馬記念開催日に全日本フィギュア選手権女子の実況を担当していること(2013年まで〔 フジ・中村光宏アナ、『全日本フィギュア選手権』実況に抜てき - オリコンスタイル、2014年12月25日閲覧〕。有馬記念の実況は2014年から担当)、塩原が2012年のジャパンカップで勝ち馬を間違えて実況(ジェンティルドンナとルーラーシップを間違えた)して競馬実況担当アナウンサーの穴埋め要員へ降格させられたこと、さらに関西テレビの岡安譲が2013年10月から『スーパーニュースアンカー』のメインキャスターに就任したことなどの事情が重なり、競馬実況については日本ダービー・有馬記念・凱旋門賞の国内外のビッグレースの実況を一手に担当することになった。ちなみに、ダービー実況を担当したのは2002年以来11年ぶりである〔この時は本来の日本ダービーの実況を担当していた三宅正治がK-1グランプリ中継でフランス・パリに行っていたため、代打での実況担当だった。なお、この時の勝ち馬はタニノギムレットで、鞍乗は武豊。武豊は2013年の日本ダービーではキズナに騎乗して勝利を収めており、この時も実況している。〕。なお、2006年・2007年を除き2011年まで担当していた天皇賞(秋)、2006年から2012年まで担当していた皐月賞の実況はいずれも後輩の吉田伸男に譲った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青嶋達也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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