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青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和歌山県和歌山市出身の陸上競技(短距離)・ボブスレー選手、スポーツ指導者。スポーツコメンテーター、中京大学陸上競技部短距離コーチを務める。男子100メートル競走の元日本記録保持者である。日本人男子初夏冬両オリンピック出場。身長178cm、体重69kg。2012年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を修了。 大学院では平田竹男教授の指導を受ける。平田研究室 同期生には三浦俊也や瀧本誠、大橋未歩などがいる。修士論文の題目は「小学校授業におけるかけっこ指導法の改善に関する研究」。公益財団法人日本オリンピック委員会強化スタッフ、公益財団法人日本陸上競技連盟 強化委員会女子短距離部委員、強化育成部(U23)委員。妻はメ~テレアナウンサーの大川敦子である。 == 来歴 == 松江小学校6年で50mを7秒2で走り、市の100mレースに初出場。記録は14秒0で7位だった。河西中学校進学後本格的に陸上を始めるが、当初は走高跳の選手で、中2で100mに転向。 和歌山工業高校で高校1年生ながら、日本選手権100m決勝に残る。結果は8位。しかし、国体に3年連続出場し好成績を挙げる。群馬国体少年Bの100mで優勝。記録は追い風参考ながら10秒57で走った。 中京大学進学後も全日本ジュニア選抜で優勝。2大会連続でユニバーシアードにも出場。 1988年、100m10秒28の日本新記録を樹立し、日本人初の10秒3の壁を破る。ソウルオリンピックにも4×100mリレーで出場した。 卒業後は大学職員として競技を続け、バルセロナオリンピックの100mと4×100mリレーで出場。リレーでは第1走者を務め、60年ぶり入賞(6位)及びアジア新記録(38秒77)に貢献。 1993年、第一線から一度退き指導者となる。1995年にJOCの派遣により1年間アメリカ・コロラド州にコーチ留学。 帰国後の1997年現役復帰も、休職しボブスレー選抜合宿に参加。 1998年、長野オリンピックにボブスレー4人乗りで出場。日本人男子として初の夏冬五輪出場を果たした(日本人としては橋本聖子・関ナツエについで3人目)。 2001年に再びボブスレーに挑戦するが断念。 2005年、フィギュアスケート・浅田真央のトレーニングコーチに就任。 2006年から文部科学省の派遣事業「オリンピック選手ふれあい事業」に参加。全国の小学校を訪問指導。 2007年、フィギュアスケート・浅田舞のトレーニングコーチに就任。 2008年、中京大学陸上競技部短距離の専任コーチに就任。 2012年 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を修了。 2014年 中京大学陸上競技部監督就任 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青戸慎司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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