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青木 穠子(あおき じょうこ)は愛知県の歌人。女流漢詩人白川琴水娘。御歌所大口鯛二に和歌を学び、めざまし会、このはな会を創立、明鏡短歌会主宰、中部日本歌人会副会長を務めた。生家は名古屋市短歌会館となっている。 「穠」は「花木の盛にしげるさま」を意味する〔諸橋轍次『大漢和辞典』第8巻 p.633〕。 == 生涯 == === 戦前 === 1884年(明治17年)10月22日、愛知県名古屋区玉屋町二丁目の洋反物商上文字屋の次女として生まれた〔。生後間もなく父が死去したため〔「年譜」(1975)〕、一家は店を畳み、西区下長者町三丁目に移った〔。1890年(明治23年)4月名古屋市菅原小学校に入学したが、9月1日には母も死去したため、岐阜県高山町の祖父母に引き取られ、次いで叔母に預けられた〔。 文芸家だった母白川琴水の影響で、小学校時代から家蔵の仮名書き源氏物語、平家物語等を読んで文学に親しみ、短歌を作った〔。1895年(明治28年)3月高山町高山小学校を卒業後、名古屋に戻り、1896年(明治29年)菅原小学校高等科を卒業した〔。 1897年(明治30年)婦人国風社で冷泉流披講を修得した後、1901年(明治34年)御歌所寄人大口鯛二に和歌を学んだ〔。1909年(明治42年)4月短歌会めざまし会を結成し、また蜂谷宗致に志野流香道を学んだ〔。1911年(明治44年)青鞜社に入社し、1914年(大正3年)3月本社を訪問したが、後に脱退した〔。 1918年(大正7年)1月歌会始に「海辺松いそやまの松きはやかにあらはれて波こそもゆれのぼる朝日に」が入選した〔。1919年(大正8年)「胎動」創刊委員〔。1920年(大正9年)短歌会このはな会主宰となり、1921年(大正10年)12月「このはな」を発刊した〔。1923年(大正12年)名古屋短歌会創立時より会員となった〔。1927年(昭和2年)、明治37年(1904年)夭折した兄鐐太郎の遺歌を集め、『真陰詠集』として出版した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木じょう子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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