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青木 均一(あおき きんいち、1898年(明治31年)2月14日 - 1976年(昭和51年)8月27日)は日本の実業家。東京電力社長・会長。 == 経歴 == === 出生から学生時代まで === 父母は東京で世帯をもっていたが、母だけが父の実家に帰ってお産したため静岡県静岡市で生まれた〔『私の履歴書 経済人4』211頁〕。青木儀助の長男〔『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上ア五四〕。仔細あって母は父と別れた〔。父は朝鮮にいってしまい、祖母と一番末の叔母との三人暮らしだった〔『私の履歴書 経済人4』212頁〕。小石川の富坂の近くで育つ〔。父と別れたのは四ツのときで、おぼろげに印象が残っているだけである〔。 小学校にはいる直前、くわしい事情はわからないが、祖母は急に東京を引きあげて静岡に帰った〔『私の履歴書 経済人4』213頁〕。そこで静岡の小学校にはいり、三年を終えた〔。本家の伯父一家が東京に移転したので、また東京に戻ってきて下谷の小学校を終えた〔。 1911年小学校を卒業した〔。朝鮮の父から手紙がきて「京城にいい中学校があるからそちらにはいれ」とのことで叔母二人につきそわれて朝鮮に渡った〔。父は釜山と京城の中間にある永同といういなか町に住んでいたので、京城では御手洗という家にあずけられた〔『私の履歴書 経済人4』215頁〕。旧制京城中学校を経て、 1922年3月東京商科大学高等商業科(現一橋大学)卒業〔青木均一略歴(昭和40年 原子力委員会月報10(2)新原子力委員会委員就任) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木均一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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