翻訳と辞書
Words near each other
・ 青木和義 (ミュージシャン)
・ 青木和雄
・ 青木和雄 (作家)
・ 青木和雄の土曜がいちばん!
・ 青木和雄の昼までえぇやん!
・ 青木哲
・ 青木哲也
・ 青木啓
・ 青木喜久代
・ 青木喬
青木均一
・ 青木城右衛門
・ 青木堅治
・ 青木塔子
・ 青木夕夏
・ 青木外志夫
・ 青木大吉
・ 青木大和
・ 青木奈緒
・ 青木存義


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

青木均一 : ミニ英和和英辞書
青木均一[あおき きんいち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青木 : [あおき]
 (n) 1. Japanese laurel 2. spotted laurel 3. aucuba japonica 4. live tree
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
均一 : [きんいつ]
  1. (adj-na,n) uniformity 2. equality 
: [いち]
  1. (num) one 

青木均一 : ウィキペディア日本語版
青木均一[あおき きんいち]

青木 均一(あおき きんいち、1898年明治31年)2月14日 - 1976年昭和51年)8月27日)は日本実業家東京電力社長・会長。
== 経歴 ==

=== 出生から学生時代まで ===
父母は東京で世帯をもっていたが、母だけが父の実家に帰ってお産したため静岡県静岡市で生まれた〔『私の履歴書 経済人4』211頁〕。青木儀助の長男〔『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上ア五四〕。仔細あって母は父と別れた〔。父は朝鮮にいってしまい、祖母と一番末の叔母との三人暮らしだった〔『私の履歴書 経済人4』212頁〕。小石川の富坂の近くで育つ〔。父と別れたのは四ツのときで、おぼろげに印象が残っているだけである〔。
小学校にはいる直前、くわしい事情はわからないが、祖母は急に東京を引きあげて静岡に帰った〔『私の履歴書 経済人4』213頁〕。そこで静岡の小学校にはいり、三年を終えた〔。本家の伯父一家が東京に移転したので、また東京に戻ってきて下谷の小学校を終えた〔。
1911年小学校を卒業した〔。朝鮮の父から手紙がきて「京城にいい中学校があるからそちらにはいれ」とのことで叔母二人につきそわれて朝鮮に渡った〔。父は釜山京城の中間にある永同といういなか町に住んでいたので、京城では御手洗という家にあずけられた〔『私の履歴書 経済人4』215頁〕。旧制京城中学校を経て、
1922年3月東京商科大学高等商業科(現一橋大学)卒業〔青木均一略歴(昭和40年 原子力委員会月報10(2)新原子力委員会委員就任) 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青木均一」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.