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青木 月斗(あおき げっと、1879年(明治12年)11月20日 - 1949年(昭和24年)3月17日)は、正岡子規門の俳人。本名は青木新護。 == 略歴 == 大阪市東区(現、大阪市中央区)船場の生まれ。若くして神薬快通丸・天眼水本舖の薬種商「青木薬房」を継ぐも、後年、俳誌「同人」を主宰して各地句会の指導に当たり、家業を廃して俳句に専念する。その雄渾流麗な独特の書風でも広く親しまれた。 その文学的素地としては、文芸好きな母方の血筋を享け、小学校時代の教師に文学家の斎藤黙蛙、友人に、後に画家の西山翠嶂、赤松麟作、俳人の山中北渚、松村鬼史がいた。1894年道修町に転居し、大阪薬学校に入学するも中退して家業に従事する。 1897年頃より俳句を始め、初めの号は月兎(げっと)。家業の傍ら、友人たちと俳句活動に励む。東京の新聞「日本」、俳誌「ホトトギス」に投句し、正岡子規に認められる。1898年秋に友人と三日月会を発足させ、1899年10月に主幹発行した俳誌「車百合」は関西俳誌の嚆矢となった。創刊に際し、正岡子規から「俳諧の西の奉行や月の秋」の祝句を贈られた。同年12月に上京、根岸庵の正岡子規を訪い、一泊の上、翌日の蕪村忌に列席している。以後は、「倦鳥」の松瀬青々と並び、大阪俳壇の草分けとして活躍する。1900年妹茂枝が俳人河東碧梧桐と結婚。1902年『車百合』廃刊後は、『くぢら』や『俳星』など各地の雜誌に寄稿し、巨口会など関西や商用中の九州の句会に出席した。1915年『ホトトギス』課題選者。文學・美術各方面の交遊が深く、日野醉來の『不二新聞』(宮武外骨社主)文藝欄を担当。『大阪新報』や各地の新聞の俳句選者を担当。関西や九州の句会の指導に当たり、1907年に月斗と改号。1916年より美術と俳句の雑誌「カラタチ」を主幹し、1920年には俳誌「同人」を創刊、以後終生、主宰として正統俳句の普及指導に務めた。 名利を追わず、道に厳しく人に優しく、豪宕の反面に細心と洒脱味を持って慕われ、ある時期よりいわゆる俳壇からはやや距離を置いたが、西日本俳句界の雄たる存在として、全国的にも多くの俳人を輩出した。1945年に戦火を避けて奈良県大宇陀町に疎開、1949年その地にて没。享年71。辞世の句「臨終の庭に鶯鳴きにけり」。墓は、京都一乗寺の金福寺、本人が敬仰した与謝蕪村の墓に辺りして、同人社により建立された。「同人」主宰は菅裸馬が継承。没後も広く追慕され、月斗が没した3月17日は「鶯忌」と呼ばれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木月斗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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