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青木 清(あおき きよし、1948年1月5日 - )は、将棋棋士。2000年、引退。熊谷達人九段門下。棋士番号は133。福岡県北九州市出身。 == 棋歴 == 奨励会では、プロ入り一歩手前の三段時代が10年間もあった。旧制度の三段リーグ(奨励会A組)では1967年度後期から制度が終わる1973年度後期まで13期を過ごした。その間、1968年度後期リーグでチャンスが巡ってきたが、東西決戦で池田修一、野本虎次に敗れて昇段を逃した。 1972年度、第2回奨励会若獅子戦・関西トーナメントで優勝。その決勝は中田章道1級を相手にした香落ち対局であった〔「将棋世界」2000年1月号付録〕。また、同年度、第16回古豪新鋭戦でベスト4進出。 1977年8月20日、29歳で、ついにプロ入りを果たす。 プロ3年目を迎えた第39期(1980年度)順位戦では7勝3敗・31人中7位の成績を修め、最終局まで昇級争いに加わった。第9回(1986年度)オールスター勝ち抜き戦予選を突破し、本戦でも当時順位戦A級に在籍していた南芳一を破る活躍もした。以上が青木の代表的な戦績とされている。 1983年度は1敗と1不戦敗の後に年度末まで休場。復帰以降は成績が振るわないことが多く、1991年度には参加した公式戦で全敗(12敗)を喫してしまった。 順位戦には延べ12期在位。昇級歴はなく、第46期(1987年度)から3期連続でC級2組において降級点を喫し、42歳の若さで順位戦への参加資格を失ってしまった。以降10年間、順位戦に復帰する為の規定の成績を修めることができず、1999年度を最後に引退となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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