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青木 熊吉(あおき くまきち、1864年3月19日(文久4年2月12日) - 1940年12月1日)は、日本の漁師、海洋生物の採集人。 == 生涯 == 相模国三崎入船町(後の神奈川県三崎町、現在の三浦市の一部)に、漁師のひとり息子として生まれ、正規の教育は受けないまま漁師となる。 1886年に当時の東京帝国大学が三崎に臨海実験所(後の東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所:通称「三崎臨海実験所」)を設けると、そこで研究に従事する研究者たちの海洋生物採集に興味を持ち、1888年ころから自ら進んでその手伝いをするようになり、箕作佳吉、丘浅次郎、飯島魁、田中茂穂、岸上鎌吉、石川千代松、大島正満など多数の研究者たちと交わりながら海洋生物の採集に従事し、「三崎の熊さん」の愛称で研究者たちから親しまれた〔。青木は、その優れた操船や採集の能力を評価され、特に延縄漁法による深海のガラス海綿やウミユリの採集の技量は高く評価され、これらに関する箕作や飯島の研究につて『熊さんなしでは実現しなかったにちがいない』とまで言われている〔(引用含む)〕。 1898年、青木は正式に、採集人として臨海実験所に雇用された〔。1925年に青木が採集人として定年となった際には、研究者たちの間で養老慰労金が募られた〔。青木はその後も、嘱託として活動を続けた〔。 1940年に青木が喜寿を迎えた際には、『動物学雑誌』が第52巻第9号を「青木熊吉翁喜寿祝賀特輯号」とした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木熊吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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