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青木 重誠(あおき しげまさ、1893年3月15日 - 1943年6月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 ==経歴== 石川県出身。青木織之助陸軍中尉の長男として生れる。金沢第二中学校、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊付となる。1920年11月、陸軍大学校(32期)を優等で卒業した。 陸軍省軍務局付勤務、陸軍兵器本廠付兼軍務局課員(軍事課)、フランス駐在、陸軍技術本部付兼軍務局課員(軍事課)、整備局課員、軍務局課員、兵器本廠付などを経て、1930年12月、陸軍省副官兼陸相秘書官となり宇垣一成・南次郎・荒木貞夫と三代の大臣に仕えた。軍務局課員(軍事課)、歩兵第8連隊付、参謀本部員、歩兵第7連隊長、人事局補任課長を経て、日中戦争では第2軍参謀副長として出征し、同軍参謀長、第11軍参謀副長、同参謀長を歴任した。1939年3月、陸軍少将に進級。 陸軍習志野学校長、大本営付などを経て、1941年10月、陸軍中将となった。太平洋戦争においては、南方軍総参謀副長として出征した。1942年8月、第20師団長となり、ニューギニア戦線に動員され、飛行場建設などに従事中、1943年6月、マラリアにより戦病死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木重誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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